【岩沢幸矢】 あれから55年…、あっと言う間だったような長かったような…。とにかく色々な経験をしましたからね。スティービー・ワンダーに曲を提供してもらったり、(岸部)シローと組んだり…。周りの支えがあったから、ここまでやってこれたんでしょうね。感謝ですね【岩沢幸矢】 この間ユーミンがうまいことを言っていたんです。ブレバタの活動には欲がない。ゆるやかだからここまでやって来られたって。確かに1年のうち半分くらいしか仕事してないし、忙しいことは避けてきましたから。デビュー前、アマチュアとして活動を行っていた二弓さんのバンドに兄・幸矢さんがボーカルとして加入し、バンドデビューを目論んでいた。そんな彼らにアプローチしてきたレコード会社が求めていたのは当時世界的に大ヒットを続けていたサイモン&ガーファンクルのようなフォーク・デュオだったことから、バンドではなく2人でデビューとなったのが1969年9月25日。デビュー曲の「傷だらけの軽井沢」は作詞橋本淳、作曲筒美京平の歌謡ポップスだった。【岩沢二弓】...
【岩沢幸矢】 2016年に亡くなった、まっつぁん(松原正樹)へのオマージュで、9月のライブでは、アルバムのマスター音源からまっつぁんのギタープレイだけを抜き出して、当日僕たちの演奏とシンクロさせようって考えています。今から楽しみですね。【岩沢幸矢】 数は数えたことがないですね。多い時で年に90本くらいですか。途中で休業していた期間もありますし、大体1500本くらいじゃないですか。普段から友達の家で歌っているような感覚でライブをおこなってきましたから。それがブレバタらしさでしょうか。【岩沢二弓】...
【岩沢幸矢】 失敗談は多いと思います。逆に感動したこともありました。ある地方でのステージだったんですが、「愛したい信じたい」って曲を歌っている時に目の前で涙を流しているお客さんがいて、それに妙に感動してしまい自分が歌えなくなったことがありましたね。また「野生の馬」っていうシングルを(岸部)シローと一緒に出した時にウエスタンカーニバルに出たのかな。ロックの中に1組だけフォークだったから、シローが「俺たちのレコード買ってくれ」みたいなことを言ったんだよね。そしたら客席が一斉に「うるせえ!」みたいな雰囲気になって酒瓶とかバンバン投げられて、あの時はこわかった。
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