ディアマンテも「世界初」と謳っていたが、こちらSUBARUの場合は、ステレオカメラとして「世界初」だ。ADAはこの時点ですでに「車間距離警報」「車線逸脱警報」「車間距離制御クルーズコントロール」「カーブ警報・制御」の4つを有していて、いまのクルマにかなり近づいているが、三菱と同様、まだブレーキをかけさせることはしてはいない。同じアダプティブ式クルーズコントロールでも、ADAはその後レーダー併用にしたのち、「アイサイト」に改称。以降、レーダー式に徹したり、ステレオカメラ式に戻ったり、はたまた併売したり引っ込めたり……ステレオカメラから片足を離さぬまま他の方式も模索していたことがうかがえる(勝手な推測です)。2008年の4代目中盤レガシィで、ADAから改称後の「アイサイト」でようやくプリクラッシュブレーキを実用化し、この時点ではレーダー式クルーズコントロール車も併売していたが、このVer.2は、「何だかんだといろいろやり方を考えていましたが、結局は当初思い描いたとおりの方式で行くことにしました」といわんばかり、ステレオカメラ式に決め打ちしたものだ。このアイサイトVer.
多少の機能差はあれど、いまはただクルマを買うだけでアイサイト並みの安全デバイスがついてくるが(機能向上で車両価格もそれなりに上がっているが)、疑似自動運転デバイスに大きな広まりを与えるきっかけを作ったのは、「10万円!」の「アイサイトVer.2」だったと筆者は信じている。 SUBARUが車載用ステレオカメラの開発をスタートしたのは1989年だという。カメラを備えたクルマなんてモーターショーのコンセプトカーでお目にかかるくらいで、ナビもバックモニターもない時代に、SUBARUは単眼式をすっ飛ばしていきなりステレオカメラ式を発想し、周囲状況を距離も含めて捉えられないかと考え始めていたのだ。単眼式、ステレオ式が混在しているにせよ、先進安全デバイスの主流がカメラ式となっている2024年のいま、1989年の時点でステレオカメラ式を着想したなんて、たいした先見の持ち主だと思う。
1989年といえば当時の富士重工が経営不振であえぎ、レオーネとジャスティの特別仕様車で食いつないでいた頃だ。私は群馬県の出身だが、当時中学生だった私は、ほんと、われらが群馬発祥の富士重工はつぶれるのではないかと本気で心配するほどに深刻だったのだ。この年の1月に「世界戦略車」を謳って発表した初代「レガシィ」が富士重工を不振から救った。中でも、SUBARU史上どころか、日本の自動車史の1ページを飾るほど大ヒットした「レガシィ・ツーリングワゴン」が富士重工を窮地からよみがえらせたのだ。
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