だが、家康のすごいところは、ここからだ。どうにか帰城した家康は、ただちに絵師を呼び寄せ、戦に敗れたみじめな自分の姿を描くよう命じたのである。こうして完成した顰像をいつも手元に置いて、家康は慢心の戒めとしていたという。原氏によれば、顰像が三方原合戦の敗戦での姿を描いたという話は、古くても昭和11年(1936)より前に遡ることができないと述べ、この逸話を全面的に否定している。
それだけではない。さらに、18世紀には家康を描いたものと認知されていたこの顰像だが、別人であった可能性も視野に入れておく必要があると論じているのだ。とはいえ、三方原の戦いが家康にとって人生最大の危機であったことは変わりはない。三方原合戦は、元亀3年(1572)12月22日に起こった。大軍(人数は諸説あり。2万~3万)を率いて徳川領内に侵入してきた武田信玄が、家康の本拠地・浜松城に迫ってきたので、家康が城から出撃して衝突した野戦である。 ただ、徳川方は織田信長の援軍を入れても1万1000。相手は2倍から3倍。兵数に大きな差があった。そんな大軍に挑んだ家康の判断は、とても尋常とは思えない。ある意味、はじめから勝算のない無謀な行動だったといえる。
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