冷戦が終結した時、三〇年後の世界がこのようなものになっていると、誰が予想しただろうか。フランシス・フクヤマは『歴史の終わり』で、自由主義と民主主義が世界の隅々まで行き渡っていく、均質化した世界像を描いた。それに対してサミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』で、宗教や民族を中心にした歴史的な文明圏による結束の根強さと、それによる世界の分裂と対立を構想した。
いずれの説が正しかったのだろうか? 確かに、世界の均質化は進み、世界の隅々まで到達したインターネットとスマートフォンの上で、自由主義や民主主義の理念も、気軽に手にして呼びかけることができる商品であるかのように普及した。しかしそれらが現実の制度として定着し、実現しているかというと、心もとない。 それではハンチントンの言う「文明の衝突」が生じたのか。確かに、冷戦終結直後のバルカン半島の民族紛争や、二〇〇一年のアル=カーイダによる九・一一事件をきっかけとした、米国とイスラーム過激派勢力とのグローバルなテロと対テロ戦争の応酬、二〇一四年のイラクとシリアでの「イスラーム国」の台頭、といった事象を並べれば、世界は宗教や民族による分断と対立によって彩られているように感じられる。しかし実際の世界は、文明によって明確に分かたれていない。文明間を分け隔てる「鉄のカーテン」は、地図上のどこにもない。
むしろ「文明の内なる衝突」の方が顕在化し、長期化している。イスラーム過激派は世界のイスラーム教徒とその国々を、国内政治においても、国際政治においてもまとめる求心力や統率力を持っていない。実際に生じているのは、イスラーム教徒の間の宗派対立であり、イスラーム諸国の中の内戦であり、イスラーム諸国の間の不和と非協力である。「イスラーム国」やアル=カーイダの脅威を受けるのは、なによりもまず中東やアフリカのイスラーム諸国であり、人々は宗教規範を掲げた独善を武力で押し付けるイスラーム過激派の抑圧から逃れるには、劣らず抑圧的な軍部・軍閥の元に庇護を求めるしかない、という苦しい選択を迫られている。 これに向き合って、自由主義と民主主義の牙城となるはずの米国や西欧もまた、求心力を失い、内部に深い亀裂と分裂を抱えている。「欧米世界」の一体性と、その指導力、そしてそれが世界を魅了していた輝きは、多分に翳りを見せ始めている。「欧米世界」は、外からは中国やロシアによる地政学的な挑戦を前にじりじりと後退を余儀なくされ、内からは、英国のEU離脱、米国のトランプ政権にまつわる激しい分断に顕著な、揺らぎと分裂の様相を示している。冷戦後に「欧米世界」に歓喜して加わった東欧諸国をはじめとしたEUの周縁諸国からは、あからさまに自由主義や民主主義をかなぐり捨て、ポピュリズムと権威主義の誘惑に身を投げるかのような動きが現れている。
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