まだ現場に行くことはなく見習い状態。「本当にゼロからのスタート。まったく元がないところから始めているので、いろんな人に教わって、話を聞いて、どんなことをしているかを見て。8時間ずっと座っていることがなかったので、最初の2日ぐらいは逆に動いている方が楽なんじゃないかと思うこともあった」と笑う。ビジネスマン、特に営業で必須アイテムは表計算ソフトのエクセルだ。売上や原価、利益などを計算しなくてはならない。横浜商大では1年時に簿記が必修授業だった。触った記憶はある。プロ野球選手は個人事業主。経費など税金の計算に使ったことはあるが、本格的に扱うのは初めて。夢の海外勤務を果たすためには、英語を身に付ける必要がある。DeNAでは「外国人選手とほんのちょっとしゃべるぐらい」だった。今は「所属は国内グループですが、資料などは英語での提出を求められることも多い。英語は必須ですね」。勉強を始めた。「まず単語を。本当に最初からですが」。まるで学生のように朝の通勤電車で単語帳を見ている。毎日30分間、英語のニュースアプリを聞き流している。
海外勤務希望は、DeNA時代の経験が根底にあった。プロ3年目を終えた19年12月、今永昇太投手、中川虎大投手、京山将弥投手らとともに約1カ月、米国シアトルにあるトレーニング施設「ドライブライン」に派遣された。科学的なトレーニングで知られる施設。「日本の施設は『ああやってこうやって』という決まりで縛られているが、ドライブラインは働いている人もラフというか自由。アメリカはそういうところなんだろうなと。英語を話せて、そういうところで働いたり住んでみたら面白いだろうなと」。好奇心が原点だった。戦力外通告後、担当スカウトから社会人野球からのオファーも紹介された。右肘の状態を考慮すると「でも投げられないので、もういいかな」と踏ん切りをつけた。選手ではなく、球団職員として雇用する道も用意されたが、丁重に断った。「1年契約での個人事業主ですので、それもつらいなと。結婚して、妻も10月ぐらいになると毎年ぴりつく感じがあったので、そこはしんどかった。毎年、瀬戸際みたいなところがあったので」。球団職員は1年契約の業務委託契約。「選手をクビになった人がまた入ってくる。将来的に球団職員やって40歳ぐらいで他の会
営業職を担う会社員になり、入団2年目から続けてきた五厘刈りも、少し伸ばしている。「8月ぐらいからちょっとずつ、社会人に備えてちょっとずつ。さすがに五厘刈りはだめですので」。こわもてのイメージは取れ、柔らかい印象を振りまく。5年前、契約金2700万円、年俸750万円で、一流企業のJR東日本から転職した。5年後、プロ野球選手をくびになった。心残りはない。海外勤務という夢を携え、ルーキーとして第2の人生に踏み出していく。
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