【話の肖像画】輪島功一(8)左1本で1回KO勝ちの仰天デビュー

《東京五輪金メダリスト、桜井孝雄選手の華麗な所作に魅せられて三迫(みさこ)ジムに入門し、昭和43年3月、24歳11カ月でボクシングの練習を始めると、2カ月後に…

2021/12/08 9:20:00

【話の肖像画】輪島功一(8)左1本で1回KO勝ちの仰天デビュー 重いクラスでやるには、私は低身長でリーチも短かったので、勝機を見いだすために変則、つまり応用を広げたのです。 ボクシングを始めた時期に鬼のように基本をたたき込まれたのは本当に幸運でした。

《東京五輪金メダリスト、桜井孝雄選手の華麗な所作に魅せられて三迫(みさこ)ジムに入門し、昭和43年3月、24歳11カ月でボクシングの練習を始めると、2カ月後に…

一見、順調な滑り出しのようにみえるけれど、最初は全くといっていいほど、誰からも相手にされなかったのです。当時はジムの練習生のほとんどが10代からボクシングを始め、プロになり、世界チャンピオンになって大金を得ようと夢見る若者ばかりでした。私のように「スポーツがしたいから」と入門した25歳の新人練習生なんて、どこ探したって他にはいなかった。期待もされていないし、だから「勝手にやってろ」って感じで、誰も何も教えてくれなかった。見よう見まねで練習するしかなかったのです。でも、そういう境遇に置かれると逆に燃えるのが私の性分。「こっちだって月5千円の会費を払っているんだ。無視するなよ」と訴えるように、目立つことを考えて練習した。わざと三迫仁志会長の前に出ていって派手に汗を飛ばしてシャドーボクシングをしたり、サンドバッグを通常の3~4倍のペースで狂ったように打ち続けたり…。そうすると、会長が「おい、誰かこの暑苦しいオッサンの相手してやれよ」となったのでした。

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《そこで相手になってくれたのがジムの高橋美徳(よしのり)トレーナーだった》高橋さんは実に厳しく、毎夜3時間の練習中、寸分の隙も許さないような人だった。徹底的にしごかれ、鍛えられました。私より4歳年上なだけで同年代といってもよかった高橋さんは元東洋ウエルター級王者で、タイトル奪取はなりませんでしたが三迫ジムから初めて世界王座に挑んだ往年の名選手でした。25歳で現役を引退し、ジムでトレーナーを続けていたのですが、最初はそんな過去の経歴も知らない私は指導の厳しさに反発して、ミット打ちで打ち損なったふりをしてぶん殴ってやろうと何回も思ったほどでした。

高橋さんのやり方は、徹底した基本の反復。一つ一つ課題をクリアしていき、できないと決して次には進ませないという指導法でした。後年、私のボクシングは「変則的だ」とか評論家によっては「あれはボクシングというものではない」とまで評されましたが、私に言わせれば変則とは「応用」です。スーパーウエルターという重いクラスでやるには、私は低身長でリーチも短かったので、勝機を見いだすために変則、つまり応用を広げたのです。ただ、基本もできていないのに応用しようとしても、それは空回りに終わるだけ。私の場合、ボクシングを始めた時期に鬼のように基本をたたき込まれたのは本当に幸運でした。 headtopics.com

《デビュー戦は見事なKO勝ちだった》最初はプロになろうとか、試合に出ようとかは考えていなかったのですが、上達すると「せめて3試合ぐらいはやってみたい」と欲が出た。昭和43年6月15日にデビューの日を迎えましたが、この時点ではまだ高橋さんからは左の使い方しか教わっていなかった。「右はどうするのですか」と聞くと「右はガード専門でいいから、グローブをあごにかぶせておけ。今日は左だけでやってこい」と高橋さん。「なんてむちゃなことを言う」と思いましたが、忠実に教えを守りました。相手はヘラクレスのようなムキムキマンでしたが、いずれも左ストレートで3度のダウンを奪い、1回2分51秒でのKO勝ち。「ダンナ、やるじゃんか!」と、三迫会長は仰天していました。(聞き手 佐渡勝美)

津波注意報 午後2時にすべて解除 気象庁 | NHKニュース

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気象庁は、トンガ諸島付近での大規模な噴火に伴い、日本列島に津波警報や津波注意報を発表したことについて、通常の津波とは異なり、急激な気圧の変化によって潮位の上昇が起きた可能性があると説明しました。

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