阿部新監督が19年シーズンで現役引退し、指導者の道を歩み出してからの4年間、惜しみもなく自身の帝王学を伝えてきた。ヘッド兼バッテリーコーチを務めた今季は、先発メンバーの素案は阿部新監督に作らせた。それだけ、自身の考えを理解してくれているという信頼があった。「この4年間、ずっと一緒にいる人ですから。我々で考えていろんなことを進めてきたものを継承した状態で、彼につなげてくれるのは非常に心強い」。成績不振により3年契約の2年目で退任することができたのも、後継者がしっかり育ったからこそだ。
監督を務めた17年間、決して後ろを振り返ることはしなかった。それは最終戦前のミーティングで、選手たちに退任を伝えた時も振り返ることはせず、「とにかく勝ってくれ」と言って送り出した。「あの時、なぜ言わなかったのかと言うと、涙が出たり、いろんなことが起きるのではなかろうかと。グラウンド上でジャイアンツの監督たるや陽でなきゃいけないし、常に希望に満ちて戦わないといけない」と真意を明かした。常に陽であれ―。新監督への最後のメッセージだった。 17年間で9度のリーグ優勝、3度の日本一、そして球団最多となる1291勝を積み上げた。この功績は巨人軍の歴史に永遠と刻まれていく。「この何年かの悔しさをジャイアンツのユニホームに染み込ませて、自分の魂に刻み込んで戦ってもらいたい。今回は5年という形になりましたけど、大変お世話になったと、ありがとうと言いたいと思います」。希代の勝負師は笑顔で伝統の巨人軍のユニホームに別れを告げた。(井上 信太郎)
〇…会見後には原監督に花束が贈呈された。プレゼンターを務めたのは、「1軍監督付」として指揮官を長くサポートし、14年1月に肝不全で48歳の若さで亡くなった水沢薫さんの妻で球団職員の美由紀さん。拍手に包まれる中、受け取った原監督は「何で泣いているの? ありがとう。私が大変お世話になった水沢くんの奥さまです」と感謝した。
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