「やっているときは57年間という(長い)感じは頭になかった。長かったか、短かったか。毎日を精いっぱい生きる者にとって明日はない。今日生まれて、今日還る。そういう人生であっただけに、57年をどういっていいか分かりませんが、非常に楽しい57年でした」「そう言っていただけるとむちゃくちゃ嬉しい。岐阜県の野球レベルが上がったという最高のお言葉をいただきました。愛知県で38年やってきましたけれども、岐阜県の野球は、少し言葉が悪いようですけれども、指導者の勉強が愛知県よりは少し落ちるのではないか…と、勉強不足を感じました。19年間やってきて、少しは愛知県に追いつけたかな…と思っている」「電話が鳴りっぱなしです。寂しいとか、まだやれるとか。先生のおかげで今日があるという言葉をもらいますけれども、私が何千人という教え子もつくりましたけれども、その者たちが社会で立派に活躍していると聞いて、監督冥利、教育者冥利に尽きます」「子どもはかわいい。自分の生徒と監督という思いではなく、自分の子どもとして考えているわけですね。預かった以上は、阪口慶三の子どもである。そういうところから“子ども”と呼んでいます」「女房
「誰も阪口監督とは呼ばない。阪口先生と呼ぶ。野球を通じて子どもたちに訴えるのは、やはり子どもらしい子ども、誰からも愛される子どもになるために、常識をしっかりと教える。魂の持った子どもに育てる。野球を通して、人間教育を徹底するということを心がけてやってきました」「勝っても負けても勉強、反省。こういう考えで野球をやってきました。勝ったら勝ったでどこが良かったか、負けたら負けたで何が原因か、繰り返し繰り返し考えるうちに、こんなに長くやることになった。でも、やっているうちは、57年というものが本当に長かったかというと、少しも長く感じない。無我夢中の毎日を送ってきた。それが今、ここで挨拶をさせてもらい、57年は長かったのだな…と今しみじみ感じています」「全然思っていなかった。東邦高校で22歳から監督をやらされた。自分から進んで引き受けたわけではない。強引にやらされた。大変なことだった。でも、3年目に甲子園に行った。4年目も行った、5年目も行った。そういう積み重ねで自分の野球に自信を持てるようになった。無我夢中で何事も取り組むべきだと身をもって知らされました」(終わり)
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