貴ノ花が右上手を引くと、大錦は左下手を取り、貴ノ花が右へ回るのを右から絞って出て行き、腰を落として寄り切った。4秒5の快勝だった。これで10勝目。同年5月場所では同じ出羽海部屋の鷲羽山が新入幕で大関・清国を破り、32年ぶりの快挙を成し遂げたが、その兄弟子に続いた。
「まぐれですよ。作戦通り思い切っていっただけです」と笑顔を見せた。貴ノ花は「なんで負けたんだ。頭が混乱している」と言ったきり、あとは無言になった。14日目、大錦は横綱・琴桜に挑戦することになった。1944年1月に、三根山が横綱・照国と対戦して以来、30年ぶりのこととなった。「思い切っていくだけです。横綱だってどうってことないです」と大錦は威勢良く言った。 その言葉通り、勢いよく立った。だが、琴桜は必殺ののど輪を繰り出す。それを耐えに耐えた大錦は、左前まわしをがっちりつかみ、堂々の寄り切り。新入幕力士が横綱に勝ったのは1941年夏場所で、双見山が男女ノ川を破ったのが唯一だった。それ以来、32年ぶりの大金星。73年9月23日付の報知新聞は1面で「大錦 琴もひと飲み」の見出しで伝えた。
「実は横綱に逃げられることも考えていました。土俵に上がった時は興奮して、膝がガクガクしていましたが、それでも幕下時代に十両と取った時ほどではなかったですね」と落ち着き払って話した。千秋楽は大関・清国との一番が組まれ、三役そろい踏みを行うことになったが、これも史上初のことに。「三役そろい踏みはどうすればいいのかな? 部屋に帰ってだれかに聞かなくちゃ」と話す20歳は1横綱、2大関撃破に向けて千秋楽に臨んだ。(久浦 真一)=つづく= ◇大錦 一徹(おおにしき・いってつ)本名・尾堀盛夫。1953年9月11日、新潟・佐渡市出身。70歳。68年5月場所、初土俵。73年9月場所、新入幕。最高位は東小結。88年1月場所で引退。引退後は年寄・山科を襲名、出羽海部屋付きの親方として、後進の指導に当たった。殊勲賞、敢闘賞、技能賞とも各1回。金星は8個。通算成績750勝740敗28休。185センチ、145キロ。得意は左四つ、寄り、上手投げ。
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