そうですね。一応セクシュアリティはクエスチョニング(※)でクィアとは言っているんですけど、こだわりはないですね。三人称もなんでもよくて、名前の後につく敬称は私の中で脱ジェンダー化されたものなので、特定の性別に決めつけられない限りは「ちゃん」でも「くん」でもいいと言っています。「決めなくていい」というスタンスは、活動の根幹にも通づることがあるかもしれませんね。昔からネイルが好きで、周りがスマホゲームをしている中でもSnapchatで自撮りをしたり、Vineで踊ってみた系の投稿や、「けみお&アミーガチュ」の投稿を観ていました(笑)。今思えば「他の男子とはなんか違う」と感じていましたし、それが「良いこと」と認識していた自分もいたと思います。しっかりと自分の性に向き合い始めたのは大学3年生の頃です。内閣府の日韓交流プロジェクトに参加したときに、LGBTQIA+やフェミニズムを日程のワークショップでテーマとして扱ってて、そこで初めて単語や概念を知りました。
そういった経緯から「自分はこれについて書かなきゃ、残さなきゃ」と思って、「男らしさに自分は縛られているけど、それはもうやめよう」というテーマでブログ記事を書いてみました。それがメディアの方の目に留まって、Toxic Masculinity(有害な男らしさ)特集回のメディア出演にも繋がりました。私の発信に対する同意や感謝のコメントを見て「自分の『こう思う』が誰かのエンパワーメントになりえるんだ」と思ったことが、現在の活動の始まりです。私は日程中、韓国に滞在していたので参加しませんでしたが、胸を張って韓国のクィア・アライの友人に紹介はできませんでした。LGBTQIA+に関して差別的であると批判されている企業が出展していたり、パレスチナ・ガザを侵攻しているイスラエルに製品・サービスを提供し、ボイコット対象になっている企業も協賛していたりと、批判の声も出ていましたよね。
例えば、アイドルの生配信中に不買運動の渦中にある企業の製品が映り込むと、社会問題に関心のあるファンから「今のタイミングでそれが映るのは危ないかも」「それ映って大丈夫?」という声が寄せられたりもする。そのコメントを受けて、後からアイドルがその配信のアーカイブを消去した例もあるんです。他にも、文化の盗用や有害な男性性を是正するような歌詞の曲が出ると、ファンから事務所への批判の声が上がったりもします。上下関係というか、圧倒的な「神様」を必ずしも求めていない関係性に面白みを感じます。そうとも言えるかもしれませんね。加えて、情報至上主義ではないことも面白いです。社会では「知識があるかないか」でその人の持つパワーが変わってしまいますし、政治にしても何にしても、特定の知識を網羅した人しか話せない空気がいつの間にか形成されている場面もある気がしていて。
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