100円ショップ「ダイソー」を創業した矢野博丈さんが2月12日に急逝した。弊紙で昨年4月から連載した「『100円の男』の哲学」の担当者として毎月お話をうかがっていただけに、死去の知らせを受けて言葉が出なかった。
連載は矢野さんが経営者として培った数々の「名言」を一つずつ採り上げ、言葉の背景や込められた思いを語る体裁だった。当然、毎回お題を決めて質問をするのだが、矢野さんは二言三言答えると話が脇道にそれ、天衣無縫に〝雑談〟が始まる。これでは話がまとまらないと困っていると「もう終わった? じゃあ飲みに行こうか」と腰を浮かせるので、いやもう一問と押しとどめるのが常だった。 でも、戻ってレコーダーを起こすと、その〝雑談〟の中に珠玉の言葉がちりばめられ、いつもうならされた。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた戦後復興の成功体験が、日本人をいかに弱くしてしまったのか。バブル崩壊後も夢を見たまま無為に30年が過ぎ、いつしか日本は、かつて見下していた新興・途上国にも追い抜かれ貧しい国になった。いま頑張らなくて、どうするのか?―と。一昨年末に「メニエール病」という三半規管の病におかされた私にとって、この連載は、気を抜けばすぐにめまいで動けなくなるダメな身体をいかに制御して生きていけばいいかという試行錯誤と背中合わせだった。日々の食生活はもちろん天候や気圧、月の満ち欠けすら影響するやっかいな病に落ち込む私に対し、矢野さんは「焦らなくていい。誰しも我慢しなきゃならんときがある。ゆっくりと、できることをすればいい」と、常に気にかけて、励ましてくれた。
2月12日は建国記念の日の振り替え休日だった。3月末で終わる連載の最後の取材が、数日後に迫っていた。夕暮れに近所を散歩しながら、私は矢野さんとの出会いでどれだけ救われたか、改めて礼を言いたいと考えていた。「ありがとう、ありがとう。矢野さん感謝します」と。ふと、頭上から矢野さんが見ているような不思議な感じがした。お星さまでもあるまいしと苦笑いしたが、虫の知らせがあったのだろうか。そのころ既に、亡くなっていたと知らされたのは、しばらくたってのことだ。
産経 サンケイ 新聞 ニュース 速報 政治 経済 社会 国際 スポーツ エンタメ
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »
ソース: Sankei_news - 🏆 68. / 53 続きを読む »
ソース: Sankei_news - 🏆 68. / 53 続きを読む »
ソース: topitmedia - 🏆 93. / 51 続きを読む »
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »
ソース: Toyokeizai - 🏆 47. / 63 続きを読む »