試合後、メインビジョンには「27年間お疲れ様でした」とメッセージが映し出され、花束を受け取った。ヤクルトでは外野手としてゴールデングラブ賞も受賞するなど活躍し、審判員としても野球界に貢献。かみしめるように審判員生活を振り返った。
「最後の心境はなんだろう…最後のバッターが(鳴門商、現鳴門渦潮後輩の)藤田だった。俺の恩師・(故)浦田俊治監督が最後に教えた子だったんだ。俺がプロの審判やっている時、藤田が近大からプロに行くことになって“この子がプロにいくんだよ。よろしくね”って。だから何というか自分が引退することよりも、最後に藤田を見たことに胸がつまっちゃったよ…」監督が就任した90年に外野手のレギュラーを獲得。俊足と強肩を生かし同年のゴールデングラブ賞を獲得した。94年に近鉄に移籍し、96年限りで現役引退。97年からパ・リーグ審判部に入局した。 積み重ねた実績が柳田審判員の実力を語る。NPB審判員にとって最高の栄誉とされる日本シリーズには07年、09年、12年と3度の出場を果たし、4度のオールスター出場も経験した。柳田審判員が引退試合を迎えたこの日、長年野球界に貢献した「戦友」のために関東配属のNPB審判員、公式記録員が球場に集結した。最後の一戦を一塁塁審として無事に終え、穏やかな表情で駆け抜けてきた野球人生を振り返った。
「長野選手も“お疲れ様でした”と言ってくれたし、原監督からも労いの言葉をかけていただいた。“本当にやってよかったな”って思うよ。最後はひっそり辞めようと思っていたんだけど、北海道にいる藤本っていう友人から“27年間支えてきた奥さんのためにやるべきじゃないか”って言われたんだ。その一言がなかったら今日みたいなことはなかったと思う。本当にね…幸せな人生だったと思う」「現役時代に優しい先輩だったなとか、そんな人がピッチャーだったらゾーンが狭くなってしまったし、こいつ同級生で仲良かったんだなっていう打者がいたら広く(ストライクを)取ってしまった。仲良いと余計厳しくしてしまうんだよな…野村監督の言葉、なかなか守れなかった」「みんなに助けてもらったと思う。俺、そんなに上手な審判員じゃなかったんだ。本当にみんなに助けてもらって成り立った仕事だった。こんなに花をもらったのは人生で初めて。本当にみんなに“ありがとうございました”と言いたい」
1年契約のNPB審判員において、栄誉ある引退を迎えられる人は一握り。ビデオも機械もなかった時代から支えてきた柳田審判員が、花道を歩いてプロ野球に別れを告げた。(元NPB審判員、アマチュア野球担当・柳内 遼平)
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