「通用しない」下馬評覆したイチローの突破力 - 野球の国から - 野球コラム : 日刊スポーツ

2020/04/16 5:54:00

「通用しない」下馬評覆したイチローの突破力 #野球の国から #イチロー

「通用しない」下馬評覆したイチローの突破力 野球の国から #イチロー

日米通算4367安打を積み重ねたイチローの偉業は、これまで多く語られてきた。数々の大記録を打ち立て、米国でも野球殿堂入りが確実視される。その一方で、イチローは… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)

日米通算4367安打を積み重ねたイチローの偉業は、これまで多く語られてきた。数々の大記録を打ち立て、米国でも野球殿堂入りが確実視される。その一方で、イチローは常に、負のベクトルと向き合い、目の前の障壁を乗り越えてきた。類いまれな技術だけではない。その強さは、苦境にも屈しない、柔軟かつ深い思考力に支えられていた。 01年4月、開幕戦アスレチックス戦でイチローはメジャー初安打を中前に放つ イチローがメジャーへ移籍した2001年。当時は筋肉増強のためのステロイドなど、薬物使用が横行した時代だった。同年、バリー・ボンズが年間最多記録の73本塁打をマークしたように、米球界にはパワー信奉が広がっていた。しかも、マリナーズはイチローのポスティングシステムの入札金として1312万5000ドル(約14億円=当時)を投資。極東からやってきた細身の青年に対し、周囲は好奇の目を向けていた。 日本野球のレベルをマイナーの3A以下と評し、パ・リーグ7年連続首位打者のイチローに対する開幕前の成績予想は、大半が懐疑的だった。「長打力不足」「体力的に1シーズン持つか」。日本の評論家からも、パワーやスピードに対応するため「もっとバットを短く持った方がいい」との声が聞こえるほどだった。活躍できるか否か、ではない。通用するかしないか、のレベルだった。 そんな耳障りな雑音を、イチローは自らのバットでことごとく封じてきた。オープン戦の中盤。それまで左方向への安打を重ねていたが、ピネラ監督(当時)から「引っ張る打撃を見せてほしい」と声をかけられた。結果は、右翼席への本塁打。ダッグアウトへ戻り、同監督にニヤリと笑ったというのも、今や有名な逸話となった。 一方で、常に冷静かつ客観的に自分の立ち位置を見つめていた。キャンプ初日には、真顔で心境を口にした。「まだメジャーリーガーだと思っていないので、それを達成できるようにしたい」。公式戦のグラウンドに立たない限り、大リーガーとは呼べない。周囲の懐疑的な声を耳にしているからこそ、メジャーに挑む日本人初の野手は、新参者としての心得を忘れることがなかった。 その後の活躍は、詳細を記す必要もないだろう。最多ファン投票での球宴出場、首位打者、盗塁王、新人王…。シーズン終了後には、獲得を逃したヤンキースの担当スカウトが、オーナーのスタインブレナー氏の逆鱗(げきりん)に触れて解雇された。それほど、イチローのインパクトは強烈だった。 この年の9月11日には、中枢同時テロ事件が発生した。公式戦は1週間、中断となった。それでも、イチローは「9・11」、遠征先のアナハイムの宿舎周辺を走っていた。たとえ困難な状況であっても、できることに取り組み、やるべきことは変えなかった。 逆風を吹き飛ばし、MVPを獲得した際、イチローは言った。 皮肉なことに、その後も大記録を達成し、偉業を重ねることで、周囲からの期待と重圧はさらに高まっていった。もっとも、常に自らのハードルを上げてきた男にすれば、重圧のかかる環境、高い壁は、プロとして望むところだった。【四竈衛】(つづく) このコラムにはバックナンバーがあります。.阪神の自主練習が15日から再開した。球団は藤浪ら3選手の新型コロナウイルス感染が判明したこともあって慎重に再開時期を探ってきた。もちろん、矢野監督にとっても朗報だが、「今の状況で(選手に)『野球頑張るぞ』とかも言える状況じゃない」。苦しむ感染者や家族。ウイルスと闘う医療従事者のことを考えれば、この言葉も正直な気持ちだろう。 自主練習を希望する選手は場所や時間帯が細かく指定され、同一ポジションの選手は同じ空間での練習を避ける。手洗い、うがいの励行はもちろん、選手同士やスタッフは原則1・5メートル以内の接近、不要な会話も禁止。施設内にあるシャワー、風呂の使用も禁止。感染予防策を徹底する。極力接触を避けるため、監督、コーチは視察を控える。 「今はもう普通にみんなが戻れる(ことが大事)。それはやっぱり世の中が普通に戻らないと、俺らも普通に野球をやるというのが戻って来ないと思う。まずはそういうふうに戻ってもらうことを願う。俺ら1人1人もそういう自覚を持って行動していくということ」。健康があっての野球。ファンあっての野球。指揮官の言葉を聞いて強く感じた。【阪神担当=桝井聡】 このコラムにはバックナンバーがあります。.片岡篤史の衝撃的な写真、動画を見て、言葉を失った。思い出したのは2年半ほど前のちょっとした出来事だ。金本知憲が阪神の指揮を執っていた17年9月のある試合。敗戦後、虎番記者の佐井陽介が深刻な表情で「片岡さんが怒っているみたいです」と言ってきた。 試合終了直後、佐井に対して片岡は「何や、あれ。ちょっと言うとけ」と、こちらの書いたコラムに語気を強めていたという。 今年は開幕していないので機会が少ないが阪神に同行して、このコラムを書かせてもらっている。直接野球に関係ない場合もあるが、基本、試合について書く。起用法にも触れる。取材しているとはいえ、こちらは外部からの視線。実際に戦っている現場との“摩擦”が生まれるのは当然だ。 そんなことは百も承知の上で怒っているというのなら話をした方がいい。そう思って「明日、話するわ」と佐井に告げた。翌日の昼前。朝早く片岡に会った佐井が「昨日の話ですが『あんなん。冗談やん』とおっしゃってました」とメールしてきてくれた。 それでも気にはなる。甲子園での試合前練習が終わり、ロッカー室に引き揚げるタイミングで「片岡コーチ。どないかした?」と声を掛ける。すると「ああ。何もないですよ。そんなん。高原さんが書くことに、いちいち怒りませんって。分かってるでしょ」とニヤリ笑った。 話はそれで終わった。実際に少しは立腹していたのかもしれない。それでもすぐ冷静になれるのは度量の大きさだろう。活躍してファンやメディアに称賛されるのもプロなら、うまくいかずに批判されるのもプロ。文句はあってもグダグダ言わない。根にも持たない。それでなくても「昭和のにおい」を残す片岡だ。 闘将・星野仙一の下で優勝した03年、歓喜の猛虎戦士になった。優勝決定試合での本塁打は忘れられない。個人的に印象深いのは90年代半ばの日本ハム時代。しぶとい打撃だった。イチロー擁するオリックスは試合には勝つものの片岡には打たれているイメージがあった。本当に野武士のような打者だった。 コーチになってからは野球の話を一生懸命してくれた。こわもてだが、いい男だ。そんな片岡があんな姿になっているとは。大きな体に不敵な表情で再び球場に現れることを心から願っている。(敬称略) 03年9月15日、広島戦で本塁打を放った阪神片岡篤史.誰もいないグランドを、黙々と走る姿が印象的だった。2001年12月22日、千葉・柏市内の練習場。柏FW北嶋秀朗は孤独な自主トレを敢行していた。前日に02年日韓W杯日本代表候補に選ばれた23歳。「神様が休むなと言っている」とオフなしで1月の鹿児島での代表合宿に備えた。 市立船橋で2度の全国制覇。97年に柏入りすると、00年シーズンは得点王争いを繰り広げ18得点。「正月は返上です」と02年の地元W杯にすべてを懸けた。当時、サッカー担当になったばかりで初対面の記者にも、素直な熱い思いを吐露する。真摯(しんし)な姿勢に、記者の客観性とは別に、人間として応援する気持ちが強くなった。 自らの思い入れが強まる一方で、北嶋は袋小路に迷い込んでいく。1月の代表合宿では気合が空回りするかのように体調を崩し、アピールできず脱落。Jリーグで代表復帰を狙うが、ことごとくゴールに嫌われる。「好調のときは“何でも入っちゃう”ような感覚だけど、入らないと本当に入らない。どつぼにはまっていく感じ」と地元W杯代表も夢と消えた。 翌年、北嶋はチームの顔だった柏から清水に移籍。自分も大阪転勤で担当を離れたが、プレーは常に気になった。06年にはJ2に落ちた柏に復帰も膝を3回手術。年齢を重ねたサッカー選手の復活の例は少ない。それだけに、11年に9得点を挙げ、柏の優勝に貢献し、熊本で35歳の13年まで現役をやり遂げたことはうれしかった。 先日、41歳になった北嶋と久しぶりに話す機会に恵まれた。W杯開催年の02年は「てんぐの鼻をへし折られた」屈辱の1年も、同時に「復活への基盤」にもなった年だったという。スランプの迷いの中から初心を取り戻し「こだわりを捨て、いろいろなことを取り入れよう」と考えを改めた。 年上だけでなく、年下の後輩の話も、謙虚に耳を傾けることに決めた。高校生のいるユースチームにも顔を出した。「柏では工藤(壮人)清水では杉山(浩太)ら年下の選手の話は勉強になった。プレーを言葉にできるし、サッカー偏差値が高かった」。後輩の意見を取り入れたことで、プレーの幅も広がる。選手寿命は延び、30歳を超えてからの復活にもつながった。 今季からJ2大宮のコーチを務める。「上から学ぶのは当たり前だが、下からも学ぶことが大切。それは指導者になっても変わらない。年下から学ぶ姿勢は、どん底の02年があったからこそ、自分の生きるための基礎になったし、その考えは宝物。おじいちゃんになっても年下から学ぶと思う」。取材した挫折の02年は人生で大きな意味を持つ。その事実を知ることができて良かった。【田口潤】 Sponsored.

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●シーズン終了後に獲得を逃したヤンキースの担当スカウトが、オーナーの逆鱗に触れて解雇された ↑そのスカウトさんかわいそう・・ 当時イチローを低評価でみんなみてしまったわけで、成果主義とはいえこんなオーナーのいい加減なパワハラはないよなあ・・

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