「至近距離の銃撃 間違いない」 15年後、解剖医が初めて口を開いた

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2007年、ミャンマーで、日本人ジャーナリスト長井健司さん(当時50)が民主化運動取材中に死亡した。その最期は、カメラにとらえられていた。ミャンマー政府は「流れ弾による事故」と責任を認めていいない。「真実」を知る人物が初めて、メディアの取材に応じた。長井さんが至近距離から意図的に撃たれたことは、無言の遺体が「語って」いるという。そこからは、「ミャンマー政府のうそ」が浮かび上がってきた。(テレビ朝日社会部・染田屋竜太) ■忘れられていく事件 遺族の焦り ミャンマー最大都市・ヤンゴンで民主化デモを取材していた長井健司さんが銃弾に倒れてから15年。命日の9月27日でさえも、この事件がニュースになることは少ない。一方、両親が亡くなり、長井さんの唯一の肉親となった妹の小川典子さん(62)は、何度も外務省にかけあい「兄の死の真相を知りたい」と思い続けてきた。 このまま忘れ去られていいのか。15年という節目に「何とかして報じたい」と私は思っていた。背中を押したのは、5年前にミャンマーで取材した光景だ。 事件から10年たった2017年9月27日、支局長として赴任していたヤンゴンで、長井さんの追悼集会を取材した。お寺に長井さんの遺影が印刷された大きな布がはられ、ミャンマー語や英語でびっしりと書き込みがされていた。集会は、命日に毎年開かれていた。 「ケンジ・ナガイは今でも私たちの心の中にいますよ」。取材に応じた僧侶が話してくれた。「あの映像が発信されたことで、ミャンマーがどれほど異常な状態か、世界に伝わった」という。地元メディアが撮影していた、長井さんが倒れる瞬間の映像だ。「そんなナガイさんのために、毎年集まって気持ちを伝えている」と僧侶は話した。 日本でも忘れられそうな事件を、ミャンマーの人が心に刻んでいた。そのことに心を動かされた。 ミャンマー赴任を終えて帰国し、新聞社からテレビ局に出向していた私は今年、小川典子さんと夫の太さんに久しぶりに連絡した。「最近は日本政府からの連絡もなくなり、このまま人々の記憶から事件が消え去ってしまうのではないかと不安で……」と典子さんはこぼした。 どうすればいま、あの事件を報じられるか。だがそれには「ニュース」とうたえる新しい情報が必要だ。そこで頭に浮かんだのが、杏林大の佐藤喜宣名誉教授だった。長井さんの遺体が日本に戻ってから、司法解剖を手掛けていた。 ■一度断られた解剖医 取材の条件は…… 銃撃事件の「真実」を、直接かかわった人の言葉でききたい。だが実は、事件から10年たった2017年、ミャンマーから佐藤教授に取材を試みて、丁重に断られていた。 今年9月中旬、私は大学を通じて改めて佐藤教授に連絡をし、東京都内で会った。「名前、顔を出して解剖のことについてお話いただけないか」。 少し沈黙があった。 「ご遺族はなんとおっしゃっているんですか」。「長井さんの妹さんは、『事故だ』といい続けるミャンマー政府にやりきれない思いをお持ちのようです」 佐藤教授の司法解剖は、捜査本部のおかれた警視庁からの依頼によるものだ。軽々に公にすることはできない。「ただ、私もこの件が風化してしまうのではないかという不安があります。ご遺族が望むなら、取材を受けることを考えたい」 2日後、愛媛県今治市にいる小川夫妻と東京の佐藤教授、私の4人をZoomでつないで話をした。小川夫妻は「事件が風化すればミャンマー軍の望むとおりになってしまう。真実を知りたい」と訴えた。佐藤教授は静かに言った。「お気持ちはわかりました。私にできることはしましょう」 記者としては、これまでメディアに出ていなかった証言をしてもらえることはうれしい。だが、それ以上に「中身のあるニュースにして、見た人に事件を思い出してもらわなければ」と肩に重荷がのしかかった気がした。 ■「これは事故ではありません」解剖医は断言した インタビューで佐藤教授は克明な記憶に基づいてはっきり言い切った。 「これは長距離弾による事故ではありません」 解剖の結果、長井さんの左背面から右前面に銃弾が抜けていたとわかっていた。佐藤教授は、「1メートル内外の至近距離から火薬量の多いライフル弾が直撃したと結論付けた」と語った。 なぜ、そんなに近い距離とわかるのか。 「(銃弾が体に入る)射入口に『焼暈(しょううん)』といいまして、熱せられたガスの、火薬を含んだ部分が当たっている(痕がある)」「ライフル弾というのは至近距離から撃ちますと、体に入る前にまず、弾よりもガスが先に来るんです。そして広げたところに弾が後から追って入ってくるんです」。そう説明してくれた。 さらに、「射入口の直下の脂肪組織は融解といって溶けている。まさにこれはガスが先行して体に当たったということを示している」という。 長距離だったら傷が変わるの

2007年、ミャンマーで、日本人ジャーナリスト長井健司さん(当時50)が民主化運動取材中に死亡した。その最期は、カメラにとらえられていた。ミャンマー政府は「流れ弾による事故」と責任を認めていいない。「真実」を知る人物が初めて、メディアの取材に応じた。長井さんが至近距離から意図的に撃たれたことは、無言の遺体が「語って」いるという。そこからは、「ミャンマー政府のうそ」が浮かび上がってきた。(テレビ朝日社会部・染田屋竜太)ミャンマー最大都市・ヤンゴンで民主化デモを取材していた長井健司さんが銃弾に倒れてから15年。命日の9月27日でさえも、この事件がニュースになることは少ない。一方、両親が亡くなり、長井さんの唯一の肉親となった妹の小川典子さん(62)は、何度も外務省にかけあい「兄の死の真相を知りたい」と思い続けてきた。事件から10年たった2017年9月27日、支局長として赴任していたヤンゴンで、長井さんの追悼集会を取材した。お寺に長井さんの遺影が印刷された大きな布がはられ、ミャンマー語や英語でびっしりと書き込みがされていた。集会は、命日に毎年開かれていた。

「ケンジ・ナガイは今でも私たちの心の中にいますよ」。取材に応じた僧侶が話してくれた。「あの映像が発信されたことで、ミャンマーがどれほど異常な状態か、世界に伝わった」という。地元メディアが撮影していた、長井さんが倒れる瞬間の映像だ。「そんなナガイさんのために、毎年集まって気持ちを伝えている」と僧侶は話した。ミャンマー赴任を終えて帰国し、新聞社からテレビ局に出向していた私は今年、小川典子さんと夫の太さんに久しぶりに連絡した。「最近は日本政府からの連絡もなくなり、このまま人々の記憶から事件が消え去ってしまうのではないかと不安で……」と典子さんはこぼした。 どうすればいま、あの事件を報じられるか。だがそれには「ニュース」とうたえる新しい情報が必要だ。そこで頭に浮かんだのが、杏林大の佐藤喜宣名誉教授だった。長井さんの遺体が日本に戻ってから、司法解剖を手掛けていた。今年9月中旬、私は大学を通じて改めて佐藤教授に連絡をし、東京都内で会った。「名前、顔を出して解剖のことについてお話いただけないか」。佐藤教授の司法解剖は、捜査本部のおかれた警視庁からの依頼によるものだ。軽々に公にすることはできない。「ただ、私もこの件が風化してしまうのではないかという不安があります。ご遺族が望むなら、取材を受けることを考えたい」

2日後、愛媛県今治市にいる小川夫妻と東京の佐藤教授、私の4人をZoomでつないで話をした。小川夫妻は「事件が風化すればミャンマー軍の望むとおりになってしまう。真実を知りたい」と訴えた。佐藤教授は静かに言った。「お気持ちはわかりました。私にできることはしましょう」■「これは事故ではありません」解剖医は断言した

 

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