高校野球の名将で、池田(徳島)を率いて甲子園で優勝3回、準優勝2回を達成した蔦文也さんが亡くなって、4月27日で20年を迎えました。当時、山あいの県立校は「さわやかイレブン」「やまびこ打線」として全国の人気を集め、蔦さんは「攻めダルマ」の異名をとりました。1982年(昭57)夏の甲子園大会での初優勝を復刻します。(年齢、表現、体裁などは当時のまま)蔦文也(つた・ふみや)監督(58)ひきいる池田のパワー軍団が広島商のワザをねじ伏せ、とうとう3466校の頂点に立った。広島商-池田の決勝戦は曇天の甲子園に5万3000人の大観衆を集め、午後0時29分から行われた。池田は初回、打者9人攻撃で6点を奪い主導権を握ったあと、6回には畠山のチーム通算7本目(大会新記録)の本塁打など大会新の7連続安打でダメ推し。全員安打全員得点、戦後決勝戦最多タイの12点を挙げるすさまじいパワーを発揮して初優勝した。試合終了後、閉会式が行われ、池田・窪靖主将に深紅の大旗が渡された。戦いは、なんと永野球審の右手がプレーボールを宣告してから、わずか10分後に決まってしまった。それは、まさしく今大会に吹き荒れた池田のパワーを
池田の爆発は、初回2死から始まった。3番江上が右前にたたいて口火を切る。畠山、水野のバットが金属音を連発させてアッという間に3つのベースが埋まった。「能柔制剛投禅一如」--昨年12月から広商ナインにヨガを教えている安東英昭さん(42)に、この朝左手に漢字8文字を書き込んでもらい、柔よく剛を制すと心に誓ってマウンドに上がった池本の表情がみるみる硬くなっていく。その動揺が宮本に四球の押し出しとなって、キズ口をさらに広げた。池田打線はおびえの見えた池本に情け無用で襲いかかった。 前日まで、同室の畠山と仲たがいして口もきかなかった女房役の山下が、左中間を深々と破り、決勝戦でも「硬くならずにノビノビやります」と約束した木下も負けじと中堅左に打ち返す。とどまることをしらないやまびこ軍団の快進撃に、スタンドからは勝敗を抜きにした手拍子まで起こり、9番山口の中前打で四球をはさむ6連打、6点がスコアボードに刻まれた。
「あとひと息のところで甲子園に来られなかった。その悔しさのすべてをぶつけるつもりでやりました」6点をもらった畠山は、ピッチングの余力を、バットに乗せた。6回、再び怒とうの猛攻を見せた大会新の7連打。それを締めくくった大会通算32号を左翼スタンドに高々と打ち込むと、畠山は1回戦以来見せたことのない笑顔を初めてのぞかせ、両手をかかげてダイヤモンドを疾走した。大会新のチーム7本塁打。それが、この日まで不発だった4番打者畠山の1発で達成されたのも、パワーで頂点に駆け上った池田にふさわしいピリオドだった。 午後2時42分、畠山の115球目が鋭く曲がって広商最後の打者津島のバットが空を切る。マウンドで抱き合う山の子たちを、白髪の闘将・蔦監督は三塁側ベンチで静かに見守っていた。監督生活30年、49年春、54年夏の準優勝から3度目の挑戦で悲願達成。就任30年目にして初優勝を遂げた蔦文也監督(58)は表彰式終了後「今後も監督業を続けたい」と、引き続き選手の指導にあたる意思を明らかにした。同監督は徳島県立池田高校の社会科教諭で、今月28日59歳の誕生日を迎える。徳島県の退職勧奨によって来年3月に定年となるため身の振り方が注目されていた。49年春、54年夏とも大旗に1歩とどかずじまいの準優勝。銀色の腕時計を「縁起(銀メダル=2位)が悪い」と金色に替えるほど執念を燃えたたせた。そして悲願の達成。教員が定年になるところから、監督業に区切りをつけることもウワサされていたが「町の人たちが“まだやれ”と言ってくれるなら、これからも監督業を続けたい」と蔦さん。
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