OCHA=国連人道問題調整事務所によると、3月1日以降、ガザ地区北部への人道支援活動のうち3割がイスラエル当局によって拒否され、ガザ地区北部では飢きんがことし5月にかけていつでも起こりうるとしています男性はガザ地区でのいまの生活ついて「今はどうやって食料を確保するか、次の日に何が起こるか分からないまま、どうやってあすまで生き延びるかだけを考えています。次は自分の番かもしれないと考えて生きています。プライバシーもなく、食べ物も娯楽もなく、私たちが人間であると感じられないんです」と話します。
その上で、親族が半年前に空爆で亡くなったことについても「当然悲しいのですが、感じるべきであろう痛みを感じられていません。今、危機のまっただ中にいるので、危機が終わった時に、ここで失ったものの大きさを気づくんだと思います」と話しています。「私は娘がすこしでも清潔な水が飲めるように水を煮沸していますが、それをするための道具すら手に入らない人たちもいます」と話します。その上で「今は不安と恐怖の2つの感情しかありません。愛する人や家を失うことを恐れずに生きたいです。」と話します。男性は「子どもは何が起こっているのか全く分かっていません。ただ手を叩いてみんなに対してニコニコしています。本当に純粋無垢であどけなく感じます」と話していました。戦闘が始まった半年前、男性は1日も早く戦闘が終わってガザ地区暮らしを立て直すことを願っていました。しかし半年がたった今は、ガザ地区を離れることを望んでいると言います。ガザ地区には、子どもの明るい未来はないと考えているからです。「ガザは私の故郷です。ガザから出ることを考えたことは一度もありませんでした。ただ、積み上げたすべてをこの半年で失いました。子どもには私たち