「芸術は爆発だ!」 そんな強力なフレーズを残した岡本太郎の創作への情熱は、絵画や彫刻作品にとどまらず、食器や家具といった日用品にも注がれました。普遍的な美しさを備え、流行に消費されることのない「サイコロ椅子」もまた、戦後日本を代表する名作椅子のひとつです。
製作困難と言われた岡本らしい自由奔放なデザインは、山川ラタンの卓越した技術で実現されました。2011年に生誕100周年を記念して復刻され、当時製作に携わった山川譲氏が制作を監修。斜め上から見るとフレームの中に星が見えてくるという遊び心のあるユニークなデザイン。サイズはW360×D360×H360mm 人気漫画家の岡本一平と歌人で作家の岡本かの子を両親にもつ芸術家一家に生まれ、一風変わった教育環境の下で若くしてフランスに渡った岡本は、ピカソをはじめとしたシュルレアリストの美術家、ジョルジュ・バタイユらの思想家と親交を結びながら、パリ大学で民族学や人類学のを造詣を深めました。帰国後、対極主義を掲げて時代の潮流を否定する新しく大胆な表現を次々と繰り広げ、いわゆるアヴァンギャルド芸術を主導していきます。
1957年に岡本が手がけた「サイコロ椅子」は、後に手がける家具のような強いアート性とは異なり、正統なモダニズム家具の系譜にあるものと言えるでしょう。ミラノ・トリエンナーレ出展に向けて53年にデザイナー・建築家・評論家によって組織された国際デザインコミッティーに参加した岡本は、山川ラタン製作所を訪れます。職人の作業を観察中にインスピレーションを得た岡本は、その場でデザインを描いたといいます。渦を巻く力強いデザインは、縄文土器のダイナミックな隆線紋、迫る緊迫感と純粋で厚い生命力に強く惹きつけられていたことが見えます。 スツールとしてはもちろん、彫刻や建築のように美しい造形のラタンの椅子は、オーナメントの様に、ただそこにあるだけで絵になる佇まいです。芸術は大衆のものと説いた岡本の作品で、生活のシーンを彩ってはいかがでしょうか。1911年、神奈川県生まれ。東京美術学校を中退し、パリに10年滞在。20世紀の美術界を代表する巨匠たちと交流を深める。帰国後、4年半の中国出征を経て、54年に坂倉準三の設計によるアトリエ兼自宅を構えた(現:岡本太郎記念館)。戦後の総合芸術運動を丹下健三ら新進の建築家・デザイナーと進めた。
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