フレッチャーが感じたことは、そのまま多くのNASA職員にも伝わっていった。グラフィックデザインとしては秀逸であるにもかかわらず、このワームロゴは、カーニングや色見本などにいちいち構っていられないエンジニアだらけのこの組織での評判は良くなかった。それでも、ダンとブラックバーンはその後の10年間をこのロゴのマニュアル作成に費やし、デザイン上の細かな指示を90ページにまとめて、あらゆるシチュエーションでどのようにグラフィックスを描けばよいか説明した。このマニュアルには、記事の題字やレターヘッドに使用する際の書体も定められているし 、自動車の車体などに描く場合の位置も書かれている(「運転席側のハンドルの真下に左寄せで」)。スペースシャトルの本体へのロゴの描き方は少し複雑だ。シャトルは耐熱性タイルで覆われているので、発射の際の写真でも見分けがつくような場所はほんのわずかしかない。しかも、NASAのロゴはアメリカの国旗や「United States of...
確かにミートボールを見れば、NASAのスリリングな活動が分かるかもしれません。ロケットや惑星、高速飛行など胸躍る図柄がいっぱいですから。でも、ワームロゴはそれらすべてを感じさせるのです。実に巧みな技であり、デザイン原理主義者が最も喜ぶデザインです。ワームロゴは、しかし失敗の運命にあったようだ。聞くところによれば、1992年5月にNASA長官に着任したダン・ゴールディンがラングレイ研究センターに来てみると、ミートボールの付いたハンガーがまだ使われていた。「ミートボールをなくしたくなかったのでしょう」と社史担当のバーリィは言う。「建物のロゴを新しくするまでにも、ずいぶんと時間がかかりました」 そのころNASAは苦境にあり、ゴールディンは所員の士気を高めるチャンスを探していた。そこで彼は特別アシスタントのジョージ・アビーとラングレー所長のポール・ハロウェーに、ミートボールに戻したらどうだろうと聞いてみた。するとふたりともはっきりとイエスと答え、さらに、ぜひそうしてください、と言ったそうだ。
NASAはワームと別れて、翌日にミートボールと再びくっついたのだ。「金曜日の朝にはワームは出ていってミートボールが戻っていました」とハロウェーは得意げにNASAのホームページ上で語っている。ワームロゴはハッブル天文台(1990年発射)やスペースシャトル・エンタープライズ号を飾ってはいるが、NASAは変更を急いだ。「まずは、古いロゴを急いで探し出すことになりました。ゴールディンは襟章を借りて付けていましたし、職員を集めたスピーチの演台にも、もうミートボールのロゴが付いていました」
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