作家でキリスト教徒の遠藤周作(1923~96年)の小説「深い河」(93年刊行)に登場する神父「大津」には、カトリック司祭の井上洋治神父(1927~2014年)というモデルになった人物がいた。遠藤と井上神父は互いに「日本人とキリスト教」を生涯のテーマとして影響を与え合った関係だった。井上神父の没後10年を機に、日本風土に根を下ろしたキリスト教、信仰の意味を問い続けた井上神父の言葉に触れる展覧会「南無アッバの祈り」が10日から20日まで、東京・六本木の長良川画廊・東京ギャラリーで開催される。
井上神父と遠藤は1950年、渡仏する船で偶然に出会って以来、親交を深めた。西洋の借り物でなく、日本人の心で聖書の原点に立ち返って捉え直したイエスの顔を伝えることを使命とした同志だった。遠藤は「沈黙」、遺作の「深い河」などにその思いを書き残した。井上神父も「日本とイエスの顔」「余白の旅 思索のあと」など多くの著作を執筆し、宗教本の枠を超えて共感を得た。新たな宣教として始めたのが86年からの「風(プネウマ)の家」の活動。若者らとミサや聖書の勉強会を熱心に続けた。 展覧会は「風の家」で学びを受け、その活動を引き継ぐ遠藤研究の第一人者のキリスト教文学研究者、山根道公ノートルダム清心女子大教授、批評家若松英輔さんらが企画に関わった。山根教授は「プネウマはギリシャ語で霊、風、息吹といった意味があり、日本の聖書では霊と訳されている。しかし日本人が抱く霊のイメージは西洋とは異なる。井上神父は目に見えない、われわれに働きかける霊を日本人に実感できる言葉で伝えようと『風』と訳した」と語る。「風の家」のミサでは「風(プネウマ)に己を委(まか)せてきってお生きなさい」という書が掲げられていた。「私たちを生かし、人生を導いてくれる命の源の働きに出合っていく価値観を現代人に伝えようとしていた」。さらに、自分を生かしてくれている命の源である神に向けたイエスの呼び掛けであった「アッバ」(イエスの日常語のアラム語で幼児が親しく父親を呼ぶ言葉)を信仰の中心と捉え、仏教で「帰依」を意味する南無を加えた「南無アッバ」は、「宗教者として法然上人を敬慕し、日本の風土でキリストの道を一筋に生きた、井上神父の思いがおのずと凝縮された祈りの言葉」と山根教授は言う。