西郷は1947年、鹿児島県に生まれた。芸能界に憧れを抱き、15歳の頃家出同然で上京したという。64年に歌手デビュー。66年に発売した「星のフラメンコ」は、50万枚を突破。橋幸夫、舟木一夫とともに「御三家」と称された。芸能ジャーナリストの二田一比古氏の話。
「高校中退後、夜の街でボーイをするなどして下積み時代を過ごし、昭和の歌謡界を代表する存在に上り詰めました。御三家といえば橋さんと舟木さんの不仲が有名でしたが、西郷さんは波風を立てないマイペースな人だったそうです。当時の御三家の人気は凄まじく、『週刊平凡』などの表紙を独占。その後のアイドルの先駆けでした」「事務所はライバル関係として売り出そうとしていましたが、僕からすれば可愛い弟分。19年に『ノーサイド・ゲーム』(TBS)で共演した際に挨拶したのが最後でした。あの時代をともに頑張った仲間としてこれから思い出話に花を咲かせたかったのですが……」役者としてもドラマ「どてらい男(ヤツ)」(73年)をはじめヒット作に出演。同時期に活躍した歌手の三田明が、西郷、舟木と共に「青春歌謡BIG3」として11年から行った全国ツアーでのエピソードを明かす。
「テルさんは『アキちゃん、俺はね、本当は役者になりたかったんだ。でも芸能界に入るには、歌手になるのが一番近道だったよ』と笑っていました。競い合っていた新人時代はお互い口も利かない仲でしたから、舟木さんと三人で『あの頃はみんなつっぱっていたよな』なんて、楽屋で昔話に花が咲いたものでした」「どんな役柄をお願いしても『いいよ』って気軽に受けてくれて、舞台でもテレビでも、私の思い描く理想の演技をやってくださった。偉ぶらず、情のある役者さんで、私がよく手作りのおにぎりやお弁当の差し入れを持っていくので、わざわざ『お弁当は?』と控室を訪ねてくれました。『うまかった!...
だが、17年に再発。骨にも転移し、昨年4月にはステージ4であることを公表した。日本国内での標準治療は全て受けたが好転せず、オーストラリアに渡り、1回160万円の「PSMA」なる日本未承認の最先端治療を受けた。昨年開設したユーチューブチャンネルでこう語っている。
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