米作家ピート・ハミルの死から1年、妻・青木冨貴子がつづるハミルの声と「真実」

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米作家ピート・ハミルの死から1年 昨年8月5日、米著名作家でジャーナリストのピート・ハミルが惜しまれつつ他界した。彼が探し続けた「真実」と今に生きる遺産とは──ハミルの愛したニューヨークから、妻でジャーナリストの青木冨貴子がつづる

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ブルックリン出身のハミルがニューヨークの街と人を描いた作品は日本でも愛された(1999年12月、マンハッタンの自宅アパートで) JOHN BLANDINGーTHE BOSTON GLOBE/GETTY IMAGESピートに初めて会ったのは、彼が初来日した1984年3月6日、月刊誌「諸君!」の連載でインタビューしたときのことだった。短編集『ニューヨーク・スケッチブック』(82年、邦訳・河出書房新社)で注目を集め、自伝的小説『ブルックリン物語』(83年、筑摩書房)が出たところだったが、何より映画『幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ』(77年)の原作者として日本でも知られるようになっていた。

彼は66年と67年の2回、計10カ月を特派員として過ごしたと答え、ニヤッと笑顔を見せると、「戦争はドラッグみたいなものさ」と続けた。「でも、僕はいわゆる戦争志向のライターになりたくなかった。つまり、戦争を商売にしたくなかった。いくら戦闘について書き続けようと、それは結局、戦闘についてただ書くことの繰り返しにすぎない」 もっと大切な戦争報道はアメリカ本土にあると思った彼は、帰国して反戦コラムを書き続けた。ジョンソン政権のベトナム政策を鋭く非難し、街頭のデモを強く支持した。一方で自分の生まれたニューヨークの人々の横顔を描き始めた。このインタビューの直後、ニューズウィーク日本版で働くことになった私は、その秋、ニューヨーク支局へ赴任し、3年後の87年5月23日にピートと結婚した。今から思えば、その頃のピートは不遇をかこっていたのだが、翌年11月には古巣のポスト紙のコラムニストに復帰。水を得た魚のように勢いよくキーボードをたたき始めた。

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