父親は開業医だった。田舎のことでもあり、長男の私は幼い頃から当然のように「医者になって病院を継ぐもの」と周囲に勝手に決めつけられていた。学校の教師もそういう態度で接するので面倒臭かったが、当の父親は子供の進路に関しては寛容で、本心はわからないが、少なくとも息子によけいなプレッシャーを与えることはしなかった。
というのも、父親もまた球磨焼酎の卸問屋という大店の長男ながら、家業は継がず医者になった経歴の持ち主で、さらにつけ加えればもともとは文筆業を目指していたようで、開業後は地元の新聞に随筆の連載を持っていた。 ノートには最初そういう随筆の下書きやメモが書かれているのかと思ったが、違っていた。記されていたのは父親の少年時代の日記や、当時感銘を受けた文学作品の抜粋で、地の文、つまり再録時に自分で付け加えた感想や解説めいた文章は一切なかった。 抜粋されているのは高山樗牛の叙情文、島崎藤村の紀行文、ジイドやシェリーの詩、漱石の随筆、南洋一郎の冒険小説の一節等々でその間を小学校低学年から高学年までの自分の日記で埋めている。つまりこれは誰に見せることなく書かれた「自分展」なのだった。ちなみに地の「文」はないが、要所要所には父親が自分で描いたカットが挿入されている。写真は口頭でもよく聞いた『プルターク英雄伝』の一節とブルータス及びアントニーの絵で、ブルータスはちゃんと元老院のトガを着ている。
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