現役時代は王貞治の14年連続本塁打王を阻止するなど歴代11位の474本塁打。引退後はダイエー(現ソフトバンク)で監督、阪神と楽天では親友星野仙一監督のもとコーチを務めた。亡き親友のレリーフに「俺ももらったよ」と晴れやかに報告した。田淵さんは「野球人として最後にいただけた賞。感謝感激です」と喜びをかみしめた。エキスパート表彰候補9回目で殿堂入り。「最大の恩師」に法政一高、法大時代の監督、松永怜一氏(88)の名前を挙げた。法大同級生で3羽ガラスと称された山本浩二、富田勝らを育てた名監督の教えが野球人の原点になった。
巨人志望だったが、1968年(昭43)ドラフト1位で阪神入団。藤村富美男、村山実に続いて、「ミスタータイガース」を受け継いだ。だが70年8月26日の広島戦(甲子園)で左こめかみに死球を受け、生死をさまよった。絶望から再起し、474本塁打のアーチストとして花を咲かせた。75年は43本塁打を記録し、巨人王の連続本塁打王を「13」で阻止して初タイトルを獲得。西武移籍後の82、83年は管理野球の広岡監督のもと、主力でリーグ優勝と日本一に貢献した。90年から3年間務めたダイエー監督では結果を出せなかった。だが03年に阪神チーフ打撃コーチとして星野仙一監督を支え、古巣の18年ぶりのリーグ優勝に尽力して一旗揚げた。
親友の星野、山本浩二と監督、コーチとして臨んだ08年の北京五輪は惨敗。だが星野氏から「お前もいつか(殿堂に)入るから、3人で祝賀会をやろう」と言われたという。「いち早く山本浩二が『おめでとう』と言ってくれた。残念なのは星野。心の中で報告した。仙ちゃん、俺ももらったよと」。殿堂に飾られた故人のレリーフの隣で、穏やかに記念撮影に応じた。「プロ野球はファンがすべて。生きてるうちは経験を伝えていきたい」。さらなる球界への貢献を誓い心を新たにした。【寺尾博和】 ○…田淵氏が古巣阪神にエールを送った。「もちろん阪神のことは気になるよ。今年は優勝しなくちゃいけない」。02~03年に指導した教え子矢野監督が指揮を執っているだけに、厳しいチェックも欠かさない。「大山が6番打つぐらいになると強いよね。新外国人次第だろうね」。笑顔で15年ぶり優勝を期待していた。
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »