「このままじゃ終われないですから」-

人気がまばらになった夕暮れのコース。河本結(23=リコー)はようやく、どん底から抜け出しつつあるようだ。それは明るくなった表情とともに、明確な次への目標を語る口調からもうかがい知ることができた。

ゴルフの国内女子ツアー・宮里藍サントリーレディース(6月9~12日、兵庫・六甲国際GC)開幕を2日後に控えた、7日の練習ラウンド。コースチェックを終えてからもなお、ショット、パットと時間をかけて感触を確かめた。引き揚げてきた彼女に声をかけると「あとは心だけですよ!」と笑った。

米ツアー参戦中にスイングを乱し、昨季の8月以降は国内ツアー10戦で予選落ち5回、トップ10入りわずか1回。強い河本は影を潜め、シード権まで失った。

「日本に帰ってからも迷宮にはまっていました。生命線のショットが散らかって、意識することも日替わりでした。オフに死ぬほど練習したら(調子が)戻るだろうと思って練習したけど、『いける』という感覚にはならなかった。開幕したら『ああ、このスイングでは戦えない』となって。何をやってもうまくいかなかったです」

今季開幕から8戦は予選落ち5回、棄権1回。決勝ラウンドに進んだ2戦も44、37位。4月末のフジサンケイレディースを腰痛のため棄権すると、男子プロで1学年下の弟・力(りき)に助言を求めた。

「バラバラになっていたパズルのピースを、リキが集めてくれたんです。ゴルフには感覚の中で伝わる共通言語があって、それが弟と一緒だった。ゴルフが楽しくなかった時に、『ああ、これだ』と。しっくりきたんです。それをやりだしたらうまくはまって、予選落ちがなくなりました」

スイングの際にインパクトゾーンを長く、フォローを小さく-。

それ以降、6戦は予選落ちなし。最近3戦は11、10、20位。今季まだ1度もない1ケタ順位が見えてきた。

ツアー初勝利した19年3月のアクサレディースでバッグを担いでくれたのが弟の力だった。

「そういえば、手から血を流して頑張ってくれましたよね」

最終日、キャディーバッグを背負ったままギャラリーと接触して転倒。まだアマチュアだった弟は、大事な手の甲を裂傷しながら最後まで姉の初優勝を支えた。

幼い頃から二人三脚。固い絆で結ばれている。

「私、優勝争いから1年以上遠ざかっているんです。どん底にいた頃は『予選を通れるかな』という(低い)目標だったけど、ようやく『また勝ちたい』と思えるようになってきた。アメリカに行って、周りからどんどん離されて、全然ダメになったけど。ようやく今、ここにいる幸せを感じることができるようになってきました」

もう二度とアメリカには戻りたくないだろう-。

勝手にそう思い込んでいた。ただ、予想は違ったようだ。

今後の目標を尋ねると、目を輝かせながらこんな答えが返ってきた。

「(アメリカに)行きたいですよ。そうは簡単に終われないから。今のスイングだったら飛距離も出るし、曲がらない。これがなじんできたらアメリカでも通用すると思うんです」

サントリーレディースで上位2人に入れば、今夏のAIG全英女子オープン(8月4日開幕)の出場権を獲得する。

振り返れば好調だった19年、全英切符を争ったのが河本と渋野たちだった。最後のアースモンダミンカップ(19年6月末)で河本は55位で切符を失い、4位に入った渋野が切符を得てメジャー優勝まで駆け上がった。

「全英はやり残したことがあるんですよ。一昨年(20年)に出た時も、コンクリートみたいにめちゃくちゃ硬くて、初日の最終ホールで奥にOBを打ってしまって。それから強く打てなくなって、予選落ちしてしまったんです。取り返しにいかないといけない」

プロのスポーツ界とは残酷で、脚光を浴びる選手はごくわずか。苦境から抜け出せず、志半ばで終わってしまう選手もたくさんいる。

ただ、河本結はもがき、苦しみながらも、はい上がろうとしている。

再び、光が当たる場所を求めて。【益子浩一】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆河本結(かわもと・ゆい)1998年(平10)8月29日、愛媛県松山市生まれ。5歳で競技を始め、松山聖陵高から日体大へ。18年夏に渋野らとともにプロテストに合格した98年度生まれの黄金世代。18年にステップアップツアーで4勝を挙げ、下部ツアーの賞金女王。レギュラーツアーは19年アクサレディースの1勝。

練習ラウンド後に笑顔で取材に応じる河本結(撮影・益子浩一)
練習ラウンド後に笑顔で取材に応じる河本結(撮影・益子浩一)
練習ラウンドでグリーンを確認する河本結(撮影・益子浩一)
練習ラウンドでグリーンを確認する河本結(撮影・益子浩一)