10年ぶりに石巻で行われる笑点の収録前夜。たい平と石巻グランドホテルの常務取締役・小野寺夢津子さんは同じ言葉を口にしていた。2人だけでない。石巻の人々が口にする「夢の日」という言葉には、それぞれの10年が込められながら、どこか重なった記憶がのっているように私は感じた。それはさながら、震災直後から石巻に通い続けているたい平と石巻の人々の合い言葉だった。
2011年3月11日に発生した東日本大震災の津波で「石巻文化センター」が全壊し、石巻から1000席規模のホールが失われた。震災直後には大街道小学校に笑点メンバーが来訪する形での収録は行われたが、大規模なホールを必要とする大喜利の公開収録は難しい状況が続いた。だから、たい平は石巻の人々と約束した。「復興したらまた笑点を石巻でやる」。公開収録の日の朝。きらきらとした空気が町全体を包んでいた。同市内にある靴店「リーガル石巻店」の店長・新柵ひろ子さんは「うれしいねえ。これまでは施設もなくて、復興のために来てくれるアーティストもみんな仙台でやらざるを得なかった。今回はやっと笑点が来る。ありがとうだよ」と言った。客席には10年前の大街道小学校での収録に参加していた木村ひな子さんの姿もあった。当時小学6年生だった少女は大学4年生となっていた。木村さんは「10年前、何かが足りない生活をしていた中で笑点の収録はとても楽しみにしていた。笑点があったから、今までがんばれた」と振り返る。だが、笑点後の石巻に残されたのは笑顔だった。木村さんは「震災後、たい平さんと会ってから、人のために温かい気持ちで何かをできる
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ソース: thetvjp - 🏆 64. / 59 続きを読む »