読売新聞写真部, あれから10年, 東日本大震災, あれから10年, 読売新聞写真部

読売新聞写真部, あれから10年

東日本大震災 3.11 「あの日」からの10年㊦:読売新聞

東日本大震災 あれから10年

2021/03/03 13:56:00

東日本大震災 発生からの10年を、 読売新聞写真部 が撮り続けた写真で振り返ります。ご覧ください。 あれから10年

東日本大震災 あれから10年

熊谷幸子さんは夫、磨(みがく)さんの死亡届を出す朝、6年ぶりに足を運んだ海に、花束を手向けた。家族で海水浴をした思い出の海に、夫は奪われた(2017年6月14日、岩手県陸前高田市)=冨田大介撮影避難指示解除準備区域の福島県双葉町中野地区に一時帰宅し、菅本章二さんは墓石が流された墓で手を合わせた。「母ちゃん、どこだ?」。手がかりは今も見つからない(2019年5月10日)=池谷美帆撮影津波の発生時刻。住民らが僧侶の読経に合わせ黙とうした。福島県いわき市の塩屋崎灯台が見える平薄磯地区では津波で約9割の家屋が全壊、100人以上が犠牲となった(2012年3月11日)=林陽一撮影

たまごタルタル、ピリ辛ガーリックトマトソースも登場!マクドナルド「チキンマックナゲット15ピース」30%OFF - ライブドアニュース 『ゴジラvsコング』日本語吹替版に芦田愛菜&尾上松也&田中みな実&津田健次郎ら7人を発表 - ライブドアニュース 不明女児の母へネット中傷続く 「娘たち守りたい」提訴 - ライブドアニュース

帰還困難区域にある橘さんの自宅(中央)。昨冬、橘さんが立ち会う中、重機による解体作業が行われた。震災からまもなく10年。除染作業や家屋の解体が進む町から、かつての面影が、また一つ姿を消した(2020年12月4日、福島県大熊町)=伊藤紘二撮影「相馬野馬追」を前に、被災した福島県南相馬市の烏崎海岸では、騎馬武者として参加する騎手たちが早朝から馬を走らせ、最終調整に励んでいた(2018年7月19日)=関口寛人撮影福島県二本松市や葛尾村などにまたがる日山山頂の神社で、「三匹獅子舞」が8年ぶりに奉納された。山の東側に避難指示が出て、獅子舞は麓での奉納を余儀なくされていた(2018年10月6日)=関口寛人撮影

震災から4か月が過ぎた7月下旬、「相馬野馬追」が開かれた。原発事故で家族と離れて暮らす高校生も参加した(2011年6月9日、福島県相馬市)=冨田大介撮影全国の高校生によるフラダンス大会「第3回フラガールズ甲子園」が開かれた。1都9県から23校165人の高校生が参加し、笑顔あふれる踊りを披露した(2013年8月25日、福島県いわき市)=菅野靖撮影宮城県石巻市の佐藤珠莉さんは、「風の電話」を訪れた。震災で戻らぬ人に思いを伝える「天国への黒電話」で、6歳だった亡き姉の愛梨さんへ語りかけた(2017年7月2日、岩手県大槌町)=関口寛人撮影 headtopics.com

原発事故で全町避難していた福島県浪江町には、津波で流された車両がそのままの姿で、生い茂る緑の中に残されていた(2013年6月17日)=関口寛人撮影避難指示が一部解除されて1年。「夜の森地区」が光で照らされ、桜並木が闇夜に浮かんだ(2018年4月3日、福島県富岡町)=関口寛人撮影小さな漁船が並ぶ港。暖をとる漁師たちの背後に、巨大な防潮堤がそびえる。海に朝の光が差し込むと、漁師たちは慌ただしく船に乗り込んだ(2019年3月6日、岩手県宮古市)=武藤要撮影10年ぶりに福島県双葉町を訪れた神田望美さんは、更地となった自宅跡で涙を浮かべた。ふるさとへの感謝を込めたガーベラが、手に握られていた(2020年12月13日)=伊藤紘二撮影

犠牲者を悼んで海岸に花を手向ける男性を、ゆっくりと昇る朝日が照らしだした(2018年3月11日、宮城県仙台市)=冨田大介撮影震災翌日、宮城県南三陸町の市街地は津波で一面水浸しになっていた。「逃げろ、走れ!」。まだ何度も余震が起き、そのたびにあちこちで津波におびえる声が上がった(2011年3月12日)=池谷美帆撮影がれきから見つかった長女と長男の靴。並んでいるのは、上野敬幸さんの真新しい靴だ。走ることが大好きだった天国の2人へ、延期となった聖火リレーで走る自分の姿を届けたい(2020年3月26日、福島県南相馬市)=冨田大介撮影

福島県楢葉町で警戒区域が解除され、姉妹は震災後に初めて自宅へ戻った。自分たちの部屋で、お気に入りのぬいぐるみを持ち出す準備をしていた(2012年8月10日)=小林武仁撮影震災から1年。宮城県名取市立閖上中学校の校庭には、津波で流された漁船が残り、前日から降り始めた雪が積もっていた(2012年3月11日)=中村光一撮影「見つかっていない人が家族の元に戻れますように」。震災から9年となった福島県いわき市薄磯地区の海岸で、女性が海に向かって祈りをささげていた(2020年3月11日)=伊藤紘二撮影東京電力の社長らが、福島県浪江町民の避難する体育館を訪れた。約200人の住民らを前に謝罪した(2011年5月4日、福島県二本松市)=大久保忠司撮影

原発事故後、初めて福島県浪江町の自宅に向かう親子の手には、津波の犠牲になった家族を弔うための花束とビールが抱えられていた(2011年5月27日、福島県南相馬市)=宮坂永史撮影原発事故で福島県双葉町の全町民が避難して1年。標語の看板がそのまま残っていた(2012年3月2日)=林陽一撮影震災当日、津波に襲われた東京電力の福島第一原子力発電所(2011年3月11日午後5時、読売ヘリから)=菅野靖撮影事故から3年となった東京電力福島第一原発。4号機の原子炉建屋の内部には、がれきなどが散乱したままの状態だった(2014年2月12日、福島県大熊町)=関口寛人撮影 headtopics.com

山梨女児不明 中傷者特定へ提訴 - Yahoo!ニュース バイデン大統領“アフガン完全撤退”を宣言 - ライブドアニュース ワクチン 医療者用に転用相次ぐ - Yahoo!ニュース

避難所となった福島市「あづま総合体育館」では、原発事故で避難してきた住民らが身を寄せ合っていた(2011年3月15日)=横山就平撮影東京電力福島第一原発の敷地南側には、汚染水の貯蔵タンクが林立していた(2020年11月15日、読売ヘリから)=菅野靖撮影東京電力福島第一原発3号機の建屋最上階では、使用済み燃料の取り出しに向けて、ドーム型の屋根やクレーンの設置が進んでいた(2017年12月7日、福島県大熊町)=関口寛人撮影避難所の救護所で再会し、抱き合って喜ぶ鈴木良子さん(右)と大坂ノブさん。「大変な状況だけどおばちゃん(大坂さん)に会えて元気が出たよ」と鈴木さんは涙を流した(2011年3月20日、岩手県陸前高田市)=上甲鉄撮影

ブルーシートで作った「おかえり」の文字を撤去するために集まった「じじい部隊」。全町避難が続く福島県大熊町で、6年にわたり見回りなどを行ってきた町役場OBらよる同チームが活動を終えた(2019年3月29日)=関口寛人撮影福島県大熊町大川原地区で行われた餅つき大会のあと、できたばかりの調整池に、住民らが古里への思いをチョークで記した(2019年1月14日)=関口寛人撮影アメリカの陸軍軍楽隊のメンバーとツイストを踊る千田みきこさん。自宅が流され、避難暮らしをしているが「勇気をもらった」とひとときを楽しんだ(2011年4月17日、宮城県石巻市)=上田尚紀撮影

長女の愛梨さんを津波で失った佐藤美香さんは、幼稚園の送迎バスが見つかった場所を手で触れた。毎年3月11日はここで祈ってきたが、今年は完成した慰霊碑に向かい手を合わせた(2019年3月13日、宮城県石巻市)=関口寛人撮影JR常磐線の富岡ー竜田間が再開された日に、福島県いわき市から富岡町を訪れた親子連れ。見つめる車窓には、重機や汚染土の仮置き場が広がる(2017年10月21日)=関口寛人撮影宮城県女川町出島の島内にはがれきを処理する施設がないため、野焼きをする。家屋の廃材や津波にのみ込まれた軽トラックも、住民が力を合わせて手作業で撤去した(2011年6月2日)=竹田津敦史撮影

除染廃棄物が入った黒い袋が積み上がる福島県飯舘村の仮置き場。同村内、比曽地区には平地が少なく、住民が先祖代々受け継いできた貴重な水田だった(2016年2月23日)=上甲鉄撮影震災翌日から、ロウソクを頼りに始めた炊き出しを続ける岩手県大船渡市のイタリア料理店。市民文化会館リアスホールの窓に手書きで「津波なんかにゃ負けないぞ!」と掲げた(2011年5月8日)=清水健司撮影朝焼けに染まる大船渡湾に沿って走るJR大船渡線のBRT(バス高速輸送システム)。鉄道にかわる住民の足として欠かせない交通手段となっている(2020年2月25日、岩手県大船渡市)=上甲鉄撮影 headtopics.com

続きを読む: 読売新聞オンライン »

東京五輪100日前、宮本慎也氏ら元侍ジャパン戦士が始球式/写真特集 - プロ野球 : 日刊スポーツ

東京五輪開幕100日前となる14日、セ・パ6試合が侍ジャパンへの応援機運を高めるため「結束!侍ジャパンナイター」として銘打たれた。高橋由伸氏、宮本慎也氏、藤川… - 日刊スポーツ新聞社のニュースサイト、ニッカンスポーツ・コム(nikkansports.com)

■深海調査船ちきゅう「東日本大震災数年前の震源地と掘削地が一致」 国際深海科学掘削計画(IODP)主力船。 「2011年3月11日には下北八戸沖の海底探査のために八戸港に停留していた際に東北地方太平洋沖地震に遭遇し、津波の被害を避ける為に一時沖合に待避」 ※Wikipedia