性犯罪で有罪になりニューヨークで収監されているハリウッドの元大物プロデューサー、ハービー・ワインスティーンが先月、ロサンゼルスの法廷に無罪を申し立て、再びメディアの注目を浴びた。私も彼のセクハラ被害に遭ったが、私の事件は時効を過ぎているため訴追はされなかった。取材に応じるのはやぶさかではないが、最近インタビューを受けた後ふと思った。今回に限らず、聞き手は私の気持ちにそぐわないコメントを引き出そうとする。被害者であるあなたはさぞかし怒っているだろう。加害者がどうなれば気が済むか、と。この復讐心に燃えた女は誰なのか。それは私ではない。インタビュアーと視聴者が求める「被害者の私」だ。世界中の女性たちが#MeTooと声を上げ、この問題に対する理解は広がった。だが性暴力のサバイバーが加害者に抱く複雑な感情は十分に理解されていない。
サバイバーが加害者に抱く感情には大きな振れ幅があり、許しと復讐心の中間のどんな色合いも帯び得る。性暴力そのものが複雑なため、サバイバーの感情も一筋縄ではいかないのだ。加害者が知り合いだったり愛していた人であったりすれば、相手と過ごした時間は嫌な思い出ばかりではないかもしれない。 私の場合、ワインスティーンとは仕事上でちょっと顔を合わせた程度だが、それでも彼が歩行器につかまってよろよろと出廷したときには一抹の哀れみを感じた。刑を軽くするための見え透いた小芝居だと言う人もいたが、たとえそうだとしてもムチ打つ気にはなれなかった。それなのに一つのパターンに押し込んで、「これが性暴力の被害者の思いですよ」と主張する人があまりに多い。メディアが相変わらず男性支配だから? いや、私の経験では女性のインタビュアーも例外ではなかった。
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。