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今につながる日本史, 武田信玄

川中島の合戦、「戦いに勝った証し」を捏造した真犯人とは : 今につながる日本史 : Webコラム・解説

調査研究本部 丸山淳一 新型コロナの緊急事態宣言は解除されたが、感染は収まるどころか「第4波」への懸念が高まっている。この春に予定されていた全国各地のお祭りやイベントの多くが延期を余儀なくされ、2年続けて中止される催し

2021/04/08 0:05:00

今年は 武田信玄 の生誕500年。信玄が 上杉謙信 と激突した 川中島 の合戦は、双方が勝利を喧伝(けんでん)し、勝者がわかりにくい。加えて後世、まったく別の場所で政治的な思惑に利用され、事実がねじ曲げられた経緯がある。 # 今につながる日本史 武田信玄 上杉謙信

調査研究本部 丸山淳一 新型 コロナ の緊急事態宣言は解除されたが、感染は収まるどころか「第4波」への懸念が高まっている。この春に予定されていた全国各地のお祭りやイベントの多くが延期を余儀なくされ、2年続けて中止される催し

祭りの見ものは、信玄が越後(新潟県)の上杉謙信(1530~78)と激突した川中島の戦いに出陣する甲州軍団の武者行列だ。1600人の武者が目抜き通りを練り歩く武者行列は国内最大級とされ、なかなか見応えがある。今年は信玄の生誕500年にあたり、山梨県ではさまざまな関連イベントも予定されている。延期は残念だが、生誕500年の祭りは命日より、誕生日(11月3日)にあわせて行う方がふさわしいかもしれない。一方の謙信の地元、越後・春日山(新潟県上越市)でも、毎年8月下旬に「謙信公祭(けんしんこうさい)」が開かれ、川中島に出陣する越後軍団の武者行列が披露される。ふたつの祭りが名前に「公」をつけて指揮官に敬意を表し、合戦に向かう武者行列をハイライトに据えるのは、ともに「勝者はこちら」と信じているからだろう。

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戦国時代最大の白兵戦とされる川中島の合戦は、天文22年(1553年)から永禄7年(1564年)まで12年にわたって続き、大規模な衝突は5回あったといわれる。特に永禄4年(1561年)の合戦は最大の激戦となり、信玄も謙信も合戦直後から自軍の勝利を喧伝(けんでん)している。どちらが勝ったのか、いまだにはっきりしない理由はほかにもある。この戦いは後世に、甲越とはまったく別のところで政治的な思惑に利用され、ねじ曲げられた経緯があるのだ。これからひもといていくのはその経緯で、信玄の「啄木鳥(きつつき)の戦法」や謙信の「車懸(がか)りの戦法」に関する新事実は何もない。ただ、合戦の最大のハイライトである信玄と謙信の一騎打ちについては、話の重要なカギになるので取り上げる。ちなみに筆者は、大乱戦の中で実際に一騎打ちはあったのではないかと考えている。

主な戦いだけで5回あったとされる川中島の合戦だが、武田方の史料『甲陽軍鑑』と上杉方の史料『川中島五箇度合戦記』(『合戦記』)では、その時期や経緯はことごとく異なっている。『甲陽軍鑑』は「啄木鳥の戦法」や「車懸りの戦法」を永禄4年の第4回合戦のシーンとして紹介するが、『合戦記』では第3回合戦の出来事となっている。最大の違いは信玄と謙信の一騎打ちで、『甲陽軍鑑』では第4回合戦に八幡原(はちまんぱら)で行われ、信玄が軍配で謙信の太刀を受け止めるが、『合戦記』では第2回合戦のシーンとされ、信玄と謙信は御幣川(おんべがわ)の中で、ともに馬上で太刀を交わしたことになっている。『合戦記』はわざわざ付録で南光坊天海(1536?~1643)が御幣川の一騎打ちをじかに観戦していたと紹介し、「甲陽軍鑑の一騎打ちの記述は誤りだ」という天海の証言まで載せている。徳川家康(1543~1616)のブレーンを務めた天海の観戦記をでっちあげ、『甲陽軍鑑』より『合戦記』の記述が正しいとアピールしたのは明らかだ。『甲陽軍鑑』の記述にも誤りや誇張が多いのだが、通説が今もほぼ『甲陽軍鑑』の記述に沿っているのは、『合戦記』などの上杉方の史料に、『甲陽軍鑑』を否定せんがための虚構がふんだんに盛り込まれているためだ。 headtopics.com

『合戦記』は武田家の遺臣が書き留めた記録を、上杉家の家臣が慶長10年(1605年)に編纂(へんさん)したとされ、実際に寛文9年(1669年)に上杉家は徳川幕府の国史編纂事業に協力するため、その内容を『川中島五度合戦次第』として幕府に提出している。しかし、実は『合戦記』を書いたのは、上杉家の人間ではない。それが明らかになったのは、平成4年(1992年)に和歌山県の旧商家から見つかった屏風(びょうぶ)絵がきっかけだった。当時、和歌山県立博物館学芸員としてこの屏風を分析した高橋修さんは、綿密な調査の成果を『異説 もうひとつの川中島合戦』にまとめている。

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