濃縮ビールにホップ不要な酵母 エコなビール造り注目
ナショナル ジオグラフィック
アルコール飲料の製造は、最初から最後まで環境に多くの負担をかける。オランダの非営利組織「ウォーターフットプリントネットワーク(WFN)」によると、小ジョッキ1杯(約230ml)のビールを造るのに必要な水は約75リットル、グラス1杯(約150ml)のワインを造るのに必要な水は約113リットルだ。メキシコのテキーラやスコットランドのスコッチウイスキーのように、限られた場所でしか造られていないものは、長距離輸送になりやすい。
ブドウ、小麦、大麦、ホップ、砂糖など、アルコールの製造に使われる原料は、大量の水とエネルギーを消費し、醸造にも多大なエネルギーが使われる。アルコール飲料産業による二酸化炭素排出量の具体的な見積もりはない。しかし米国の学術機関「全米アカデミーズ」は、広い意味での食品飲料産業について、世界で最も持続不可能な産業の一つであり、世界で失われる生物多様性の60%、二酸化炭素排出による気候変動の30%の原因だと推定している。
気候変動の深刻さが増し、農業から輸送までアルコール製造に関連するあらゆるところに影響が及んでいる。そんななか長年、環境に負荷をかけるやり方で造られてきた生ビールを、私たちはもう飲むべきではないのだろうか? いや、そうとは限らない。アルコール飲料業界の環境負荷を削減するイノベーションと技術が生まれ、一方では大手メーカーが持続可能な生産にするために対策を講じている。実例を紹介しよう。
「濃縮還元ビール」で輸送負荷を減らす
2010年に米ユタ州のキャニオンランズ国立公園でハイキングをしていたパトリック・タテラ氏は、山頂に着いたときビールがたまらなく飲みたくなった。化学工業と数学の知識があり、またビールの95%が水であることを知っていたタテラ氏は、ビールを持ち運びしやすいように乾燥させて、飲むときに水で戻せないかと考え始めた。
実験を開始したタテラ氏は、これを大規模に実現する技術ができれば、非効率的な流通システムに悩まされていたビール業界全体に役立つことに気付いたと、タテラ氏がその後設立したサステナブル・ビバレッジ・テクノロジーズ社(SBT)のCEO、ゲイリー・ティクル氏は話す。
ビールに関連する二酸化炭素排出量の20%が、国際輸送のために生じるとされている。ビールやワインなどのアルコール飲料の出荷には、劣化を防ぐため、通常は温度と湿度が調節された輸送機関が使われる。「現在の科学技術の下、この過程では国中あるいは世界中で、大量のステンレスと水と空気が運ばれています」とティクル氏は言う。
タテラ氏は、「BrewVo」と呼ばれる、従来のビールの6分の1の重量と体積で輸送できる高濃度のビールを造る方法を開発した。その製法は伝統的な醸造法とほぼ同じだが、醸造サイクルを何度も繰り返すところが異なる。
各サイクルの最終生成物は、BrewVoユニットで水とアルコールを分離してから次に送られる。「そのほかすべての、一般にビールの中核を成している良い部分」、たとえばホップと穀物から生まれる風味などは、缶、ビン、樽などではなくビニール袋に入れて出荷されるとティクル氏は説明する。
各地のビール醸造所やバーに届いたところで、濃縮ビール1に対して水6の割合で混ぜ、アルコールを加えて(または加えないこともできる)、炭酸ガスで発泡させる。これでビールとして販売できるようになる。BrewVoで造られたビールは、米コロラド州デンバーの数件のバーで飲むことができる。SBTは現在南米でバーを開店する準備を進めているほか、間もなくコロラド州の醸造会社スリーピング・ジャイアントとの提携により生産規模を拡大する予定だ。
ホップいらずのビール酵母
また別の持続可能な解決策も2013年に生まれている。チャールズ・デンビー氏は、米カリフォルニア大学バークレー校で博士研究員として、遺伝子組み換え技術を使って酵母からバイオ燃料を造る研究をしていた。空き時間にビールの醸造をしていて、あることに気付いた。
製造コストのうち最も高いのが、ビールの特徴的な香りと味わいを生み出すホップだった。製造法によって異なるが、1ポンド(454グラム)のホップから造れるビールは約38リットルから95リットルで、それが15ドル(約1700円)もした。
ホップは栽培に大量の水を必要とすることも知った。米国最大のホップ栽培地であるワシントン州とオレゴン州の調査によれば、1ポンドのホップを育てるのに、気候や土壌の状態によって1135リットルから1700リットルもの水が必要になる。デンビー氏は、自身の専門である酵母遺伝学と合成生物学を、ビールの醸造に応用することにした。
「酵母が代わりに使えれば、栽培にかかる水も費用も節約できる」とデンビー氏は考えた。
デンビー氏はバークレー校の同僚のレイチェル・リー氏と共に、ホップに含まれ、その特有の風味のもとになっている化合物「テルペン」を生み出す酵母株をつくる遺伝子組み換えの研究に取り掛かった。2018年に、デンビー氏とリー氏はその成功を学術誌「Nature Communications」で発表した。実際に2人が開発した酵母株を使って醸造したビールは、従来のビールよりホップらしい味がするとの結果が得られたという。
その後2人はバークレー・イースト社を設立した。しかし、かくも有望で革新的な技術だったにもかかわらず、このホップの代替品はすぐには業界に受け入れられなかったとデンビー氏は話す。
「農業への依存をなくしたり軽減したりできる応用技術があっても、それによって代替や改善をしようとしている仕事を何百年もの間農業に頼ってきたのですから、多少は時間がかかります。特にビール業界では、多くの醸造所がすでに5年先までのホップ購入契約を結んでいます」
障害を乗り越えるため、同社はこの酵母由来の風味を、ホップの代わりに使用できる安くて信頼できる選択肢として売り込んだ。デンビー氏によれば、現在バークレー・イースト社は数百の醸造所に酵母を供給しており、ワイン業界にも進出している。
「今こそ世界的なチャンス」
タテラ氏のSBTやデンビー氏のバークレー・イーストのようなスタートアップ企業が革新的な解決法を生み出そうとしている一方で、生産工程全体を環境に優しいものに変えていこうとしている飲料会社もある。
世界最大手の多国籍アルコール飲料メーカーで、ビールのギネス、テキーラのドン・フリオ、ウイスキーのジョニー・ウォーカー、ウオッカのスミノフ、ウイスキーのクラウン・ローヤルなど200を超える有名ブランドを保有する英ディアジオ社は、2030年までに温室効果ガス排出を削減する誓約をかかげている。
そのために多方面からのアプローチを採用していると、同社グローバル・サステナビリティ・ディレクターのクリスティ・マッキンタイア氏は話す。効率の向上もその一環で、設備をアップグレードし、建物の断熱材を改良し、生産工程の高速化を図っている。
生産の複数の段階で必要とされる熱エネルギーは、捕獲して再利用する。醸造や蒸留による副生成物や、ホップ、大麦その他の原料の栽培で生じる廃棄物を燃料とするバイオマス発電によって、現場で必要なエネルギーや電力を生み出すなど、再生可能なエネルギー源も使用する。
ディアジオ社ではこれまでに3つの蒸留所で二酸化炭素の排出量と吸収量のバランスが取れた「カーボンニュートラル」を達成しており、さらに世界中の150の生産拠点を今後数年間でカーボンニュートラルにする取り組みを進めている。「万能の解決策はありません。同じ方法がどこでも使えるわけではありません」とマッキンタイア氏は言う。「拠点の大小、古い新しいにかかわらず、同じように段階を経て、対処していかなければなりません」
2021年9月上旬に、排出実質ゼロを目指すディアジオ社の戦略が、「科学に基づく目標設定(Sience Based Targets)」イニシアチブの承認を受けた。このイニシアチブは、民間企業の排出量削減を支援する取り組みで、CDPワールドワイド、国連グローバル・コンパクト、世界資源研究所(WRI)、世界自然保護基金(WWF)が共同で行っている。企業が排出実質ゼロを達成するには、大気中に排出する温室効果ガスの排出を削減するか、たとえば木を植えるなどによって、排出量を相殺する必要がある。
新たな技術革新が起こり、有名ブランドも環境負荷の削減に取り組むなど、アルコール飲料業界では持続可能性を追求する機運が高まっているようだ。「今こそ世界的なチャンスです」とティクル氏は言う。「この業界は、数百年もの間ほとんど変化してきませんでした。業界をひっくり返す、初めての機会が訪れたのだと思います」
文=Jess Craig/訳=山内百合子(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2022年1月4日公開)
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