「がんばろう神戸」の魂を伝えたい。阪神に1、2軍巡回打撃コーチとして新加入した藤井康雄氏(59)にとっても「1・17」は忘れられない日だ。オリックス戦士として戦ったあのシーズンに感じたファンとの一体感。その精神を若虎に伝えることが責務になる。【構成=編集委員・高原寿夫】

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地震発生時、車を運転していました。オフは毎年、鳥取で自主トレ。でも地震前日の16日は大阪で母校・泉州高(現近大泉州)のOB会があり、話が盛り上がって2次会から最後はファミレスにまで。

その店が閉まる午前5時に店を出た。ボクは酒を飲まないので友人をクルマで送り、阪神高速で自宅(神戸市西区)を目指しました。最寄りの月見山インターを降りた頃、グッとハンドルを取られるような感じがしたんですね。

「パンクかな?」。そう思ったけれどゆっくり運転して帰宅。すると妻がロウソクを持って出てくる。そのとき初めて地震発生のことを知りました。そこでそういえば街灯も消えていたな、と気づいて。

幸い自宅付近は被害はほとんどなかったのですが電気、水道、ガスはすべて止まりました。驚いたのは高速道路の倒壊。さっきまで自分が走っていた道。「あと10分違っていたら…」と震えました。

宮古島キャンプは無理をしなくて言われたけれどなんとか参加しました。でも練習中も「野球をやっている場合か」などと感じて。開幕は無理だろう、できてもお客さんはそれどころじゃないだろうとも思っていました。だから4月1日、神戸での開幕戦を満員で迎えたのは本当に感動したものです。

「がんばろう神戸」をキャッチフレーズにするからには自分たちで神戸のみんなに元気を感じてもらおうと張り切っていた。でも実際は我々の方が地元の人々から勇気づけられていた感じでしたね。

今回、縁があって阪神に加入しました。あの年、オリックスは盛り上がったけれど阪神の話題はほとんど出なかったように思います。阪神間の広い範囲に被害が出たこともあり、同じ地元のタイガースに元気がなかったのは少し寂しい気がしていたものです。

コーチとしてオリックス、ソフトバンクで言ってきたのはファンを喜ばせようとすることの大切さ。例えばイチローは全打席、安打を狙っていたと思うけれどボクは気を抜く打席もあった(笑い)。だからあのぐらいの成績で現役を終わったのかもしれないけれど、その代わり「ここ一番」では集中したつもりです。

満塁本塁打の率が高いと言われるのもそれが理由ではと思っています(※)。ファンを喜ばせようというのは熱狂的な虎党が多い阪神ならなおさら。コロナ禍で厳しい状況ですが、そんな中でも野球ができる喜びはあるし、それもファンがあってこそです。そんな気持ちを若手に伝えていきたい。そう思っています。

※勝負強い藤井 藤井はプロ実働16年間で282本塁打、そのうち14本が満塁アーチだ。現在、通算最多満塁本塁打は中村剛也(西武)の22本。2位は王貞治(巨人)の15本で藤井は中村紀洋(近鉄ほか)と並び3位タイ。しかし中村剛は通算442本(21年まで)王は868本、中村紀も404本塁打を放っており、通算本塁打数に比べ藤井の満塁弾率は高い。藤井はサヨナラ本塁打も通算7本。最多は清原和博(西武など)の12本で藤井は6位タイ。そして代打満塁本塁打はリーグ最多の通算4本。01年9月30日のロッテ戦では「代打サヨナラ満塁本塁打」を放つなど抜群の勝負強さが記録に残る。

◆藤井康雄(ふじい・やすお)1962年(昭37)7月7日生まれ、広島県出身。泉州-プリンスホテルを経て86年ドラフト4位で阪急入団。オリックス時代の95年のリーグ優勝、96年の日本一に貢献した。通算1641試合、1207安打、282本塁打、861打点、打率2割5分2厘。通算満塁本塁打14本はプロ野球3位。現役時代は181センチ、81キロ。右投げ左打ち。オリックス、ソフトバンクで打撃コーチを歴任し、スカウトも経験した。