『帝国の計画とファシズム 革新官僚、満洲国と戦時下の日本国家 Planning for Empire』ジャニス・ミムラ著(人文書院) 4950円
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カリスマなき強権の陳腐さ
評・井上正也(政治学者・成蹊大教授)
ファシズムと聞くと、多くの人はヒトラーやムッソリーニといったカリスマ指導者に率いられた熱狂的で強権的な政治体制を思い浮かべるだろう。かつては研究者の間でも、戦前日本がファシズムであったかという論争が盛んであったが、最近はすっかり見かけなくなった。ところが、英語圏の日本研究では、近年このファシズムという分析用語が復権しつつあるという。
本書の主役は、岸信介を中心とする革新官僚たちである。第一次世界大戦後の科学技術の進歩を背景に、彼らはテクノロジーや社会政策に関する高度な知識をもつテクノクラートとして台頭してきた。革新官僚たちは、自由放任で私的利益を過剰に追求する社会は時代遅れであると批判した。そして、行政の積極的な介入によって、各企業を協調させ、科学的な管理の下で生産や流通を効率化すれば、国民経済を発展させられると考えたのである。
彼らの主張は、やがて総力戦時代に備えた陸軍と結びつき、満洲国や日本本土での統制経済を押し進めた。そして、ついには日本のような「持たざる国」でも、テクノロジーと国民精神によって資源の欠乏を克服できるとして、アジアへの帝国主義的な拡張を正当化するに至る。著者はこのようなテクノクラートの統制下におかれた新しい権威主義体制を「テクノファシズム」と呼ぶのである。
本書で展開されている議論は決して目新しいものではない。しかし、戦時日本の精神主義や非合理性を強調しがちであった旧来の見方とは異なり、本書は、イデオロギー的に中立であったはずのテクノクラートが、国家と社会における技術的合理性を追求するなかで、いつしか大東亜共栄圏のイデオローグになっていく過程が巧みに描き出されている。
革新官僚の思想に焦点をあてた本書は、逆説的ながら、官僚の無思想性を明らかにしているといえよう。ハンナ・アーレントが指摘した「悪の陳腐さ」の意味を改めて考えさせられる一冊である。安達まみ、高橋実紗子訳。