青森山田の黒田剛監督(51)が就任27年目で最強チームを作り上げた。

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国見(長崎)を常勝軍団へと導き、7日に亡くなった小嶺忠敏さん(享年76)に憧れ、その小嶺さんが00~03年度の国見で成し遂げて以来となる4大会連続の決勝進出。高円宮杯U-18プレミアリーグの東地区王者として、西地区4位(上位3チームはJリーグ下部組織)の大津との高体連(部活)最強決定戦を、被シュート0本での完全勝利で飾り、3大会ぶり3度目の全国選手権優勝と高校3冠を達成した。

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最強を証明した黒田監督の目には試合終了直前から光るものがあった。「パーフェクトなゲームをやってくれた」。過去2大会は準優勝。優勝候補筆頭と言われながらも、19年度が静岡学園に逆転負け、昨年度は山梨学院にPK戦の末に敗れ(記録上は引き分け)、三度目の正直で大津を圧倒した。高体連相手の公式戦は静岡学園戦から丸2年で無敗を貫いた。

先発11人のうちDF三輪、小野、MF松木、宇野、藤森、田沢(いずれも3年)の6人が青森山田中出身で、6年間で培った成熟された連係をピッチで示した。今季はハイプレスと全員の体を張った守備で、この日の決勝を含めて被シュート0本を何度もマーク。選手権5試合で21得点2失点。攻守で隙がなかった。

青森の冬は過酷だ。グラウンド一面が雪で覆われ、選手権後の約1カ月半はボールをほとんど使わず、雪上をひたすら走る。足腰とメンタルを鍛え、それが常勝軍団の礎になる。前年度主将のJ3相模原DF藤原優大(19)は「青森山田は『雪を味方につける』スタンス。雪の上で足腰を強くして、一番はメンタルですが、それが成功して強さを生んでいる」と証言する。

黒田監督にとって小嶺さんは憧れ続けた存在だ。1987年(昭62)に北海道で全国高校総体が開催。それに向けた国見の練習試合の相手として対戦したのが初対面だった。「長崎からあそこにバスがあったのは高校生ながら衝撃でした」。大体大卒業後にホテルマンになったが、指導者への思いを捨てきれずに3カ月で退職した。

母校登別大谷(現北海道大谷室蘭)のコーチなどを経て94年(平6)に青森山田のコーチに就き、大型免許を取得。翌年から25歳で監督に就任した。「小嶺先生みたいにバスの距離でも日本一を目指そう」と多いときにはひと夏に7200キロを運転。全国の強豪校と練習試合を重ね、本州最北端から沖縄、鹿児島を除く45都道府県にバスで到達した。

黒田監督は「春から『打倒青森山田』と全国から聞こえてきて、重圧はあったが、その何倍ものパワーで簡単にはねのけるくらいの選手の勝ちたいという意欲が1年を通して見られた」。3冠達成。小嶺さんが作り上げた国見のように黄金時代を築く。【山田愛斗】

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