議論に熱中する真鍋さん、車運転中に「ハンドル離すことも」…肩書気にせず平等に接する

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 真鍋淑郎さんは20代で米国に渡り、気候モデル研究のパイオニアとして世界的な業績をあげた。「頭脳流出組」とも呼ばれるが、渡米後も日本の研究者と交流を続け、国内の研究レベル向上に大きな役割を果たした。

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 「真鍋さんは我々研究者だけでなく、全人類に価値のある貢献をした。おめでとうという言葉とともに、感謝の気持ちを伝えたい」。真鍋さんの東京大大学院時代の後輩で、海洋研究開発機構フェローの松野太郎さん(87)は、真鍋さんへのノーベル物理学賞のメダル授与をインターネットで視聴した後、そう語った。

 真鍋さんは大学院博士課程修了後の1958年に渡米した。松野さんによると、当時、米国ではコンピューターの開発が進み、日米の差は大きかったという。真鍋さんは米国で高性能のコンピューターを自由に使い、ノーベル物理学賞の受賞理由となった気候モデルを構築した。「世界で最もぜいたくにコンピューターを使った男」とも評され、世界のトップを走り続けた。

 一方、松野さんは日本国内で研究を継続した。真鍋さんとは手紙などでやりとりし、米国を訪ねた際は議論を重ねた。松野さんは「真鍋さんとの交流があったからこそ、日本にいても『トップレベルにいる』という自信が持てた」と話す。

真鍋さん夫妻(最前列中央)を囲む「地球フロンティア研究システム」の若手研究者ら。2001年の懇親会で。最後列右から4人目が山中さん=山中さん提供
真鍋さん夫妻(最前列中央)を囲む「地球フロンティア研究システム」の若手研究者ら。2001年の懇親会で。最後列右から4人目が山中さん=山中さん提供

 97年10月、日本でスーパーコンピューターを使った気候モデルの研究を目指す国の組織「地球フロンティア研究システム」が設立され、システム長となった松野さんが真鍋さんを米国から呼び寄せた。真鍋さんはそれから約4年間、日本で生活しながら同組織の温暖化予測研究チームのリーダーを務め、多くの若手研究者を育てた。

 環境科学が専門で北海道大教授の山中康裕さん(57)は、同組織で真鍋さんのチームに所属していた。メダル授与をネットで見た山中さんは「真鍋さんは、今では世界的に議論される気候変動の研究の第一歩を踏み出した人。受賞は当然だと思っていたが、メダルを手にされている姿を見て、思わず涙ぐんでしまった」と語った。

 山中さんは30歳代だった97年4月、真鍋さんのいる米プリンストン大の研究員になった。真鍋さんは当時65歳を超え、気候モデルの研究分野では既に「ジャイアント」と呼ばれる存在だったが、科学の議論になると互いの年齢や肩書に関係なく平等に接してくれたという。「議論に熱中するあまり、車の運転中にハンドルを離すこともあった」と山中さんは明かす。

 「真鍋さんは生来のサイエンティスト(科学者)。真鍋さんがいなければ、自分はいま研究職に就いていなかったと思う」。山中さんは感慨深げに語った。

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2577487 0 科学・IT 2021/12/07 14:08:00 2022/09/27 11:58:47 2022/09/27 11:58:47 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/12/20211207-OYT1I50077-T.jpg?type=thumbnail

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