「認知症界のレジェンド」長谷川和夫さんが残したもの

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編集委員 猪熊律子

 認知症医療とケアに多大な功績を残した「認知症界のレジェンド」、精神科医の長谷川和夫さんが11月13日に亡くなった。認知症に関する国の政策がまだなかった1960年代後半から研究と臨床に携わり、2017年には自らが認知症になったと公表。「診る側」「診られる側」双方の立場から社会に発信し、認知症と共に歩んだ92年の生涯だった。

真っ先に挙げられる功績「長谷川式スケール」

2017年、認知症であることを自ら公表した頃の長谷川さん
2017年、認知症であることを自ら公表した頃の長谷川さん

 その功績として真っ先に挙げられるのが、74年に公表した「長谷川式簡易知能評価スケール」(91年に改訂版を公表)だろう。

 「これから言う三つの言葉を言ってみてください。桜、猫、電車」「100から7を順番に引いてください」などの質問から成る、診断に使われる認知機能検査だ。物忘れ外来などで、「長谷川式スケール」による検査を受けた人も多いのではないか。

 長谷川さんのすごいところは、「1974年」という世界的に見ても早い時期にこの診断の「物差し」を開発したことだ。現在、世界中で使われている米国の「MMSE(ミニメンタルステート検査)」という長谷川式に似た検査がある。それが公表されたのは長谷川式の1年後のことだ。

 2000年に、高齢者 痴呆(ちほう) 介護研究・研修東京センター(現・認知症介護研究・研修東京センター)のセンター長になってからは、「パーソン・センタード・ケア(その人中心のケア)」の普及に努力し、ケアの分野でも大きな足跡を残した。「パーソン・センタード・ケア」は、英国の牧師、心理学者で大学教授だったトム・キットウッド(1937~98年)が提唱した概念で、その人らしさを尊重し、その人の立場に立ったケアを行うことを指す。

 これに関し、長谷川さんが「大好き」と語っていた物語がある。聖マリアンナ医大に勤めていた時、同僚だった人がコラムに書いたものだそうだ。

 <公園を歩いていた小さな子が転んで泣き出してしまった。すると4歳ぐらいの女の子が駆け寄ってきて、助け起こすのかと思ったら傍らに自分も腹ばいになり、にっこり笑いかけた。泣いていた子もつられてにっこりした。女の子が起きようねと言うと小さな子はうんと言い、2人は手をつないで歩いていった――>

 長谷川さんは、この女の子は「パーソン・センタード・ケア」の原点を表していると語っていた。倒れた子のもとに駆け寄るが、助け起こすことはせず、自分も腹ばいになり、頃合いを見て自力で起き上がることを支援する。「ケアを必要としている人と同じ目線の高さにたつ。こういうケアが全国に広まればといいなと思っているんですよ」と話していた。

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