拝観を終えた男性が南大門で振り返り、今一度拝礼する。その先にあるのは世界遺産、法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂と五重塔(いずれも国宝)だ。
聖徳太子の薨去(こうきょ)後、太子が建てた当初の法隆寺(若草伽藍(がらん))は天智9(670)年に焼けた。現在目にするのはその後、8世紀初め頃までに再建された法隆寺で、東の建物群に対し西院(さいいん)伽藍と呼ばれている。
調査によると若草伽藍は塔と金堂が南北に並ぶスタイルだったが、現法隆寺は東西に金堂、五重塔が建つ。このことからも、寺の性格が変わっただろうことがうかがえる。
巨大資本と情熱を注ぐ
古谷正覚(ふるやしょうかく)住職は「初代法隆寺は太子の父、31代用明天皇のためだが、再建された法隆寺は太子追善のためだった」と語る。