シリア出身地方議員の奮闘記
町の意見はさまざまだけど

人口2万人余りの山形県の田舎町。
ここで、シリア生まれエジプトで育ちの議員が誕生した。

彼の名前は、スルタン・ヌール(50)。

なぜこの町に移住し、議員になろうと思ったのか? 住民の反応は?

それは試練と奮闘の連続だった。
(武藤雄大)

山形県初の外国出身議員

「エジプトから来たが、日本人の気持ちで一生懸命。日本人のことばで私の好きなのは『人事を尽くして天命を待つ』そこに向けて頑張っていきたい」

初めて足を踏み入れた議場でこう抱負を語ったスルタン。
ことし7月の山形県庄内町議会の補欠選挙で初当選した。

山形県で初めての外国出身議員だ。

議員が足りない!

スルタンが当選した庄内町議会は、2018年の町議選で、定員16に対して立候補者は15人にとどまった。
定員割れは山形県内の自治体では記録が残る平成以降、初めてだ。

「ついにこの時が来た…」と衝撃を持って受け止められた。
町議会では定員割れを解消するための議会改革に取り組まなければならないほど危機感を持っていた。

それから3年。町長選にあわせて町会議員の補欠選挙が行われることになった。

しかし告示まで1か月になっても、立候補者の名前が出ては消え、時間だけが過ぎていく。

「今回も立候補者が出ないかもしれない…」

関係者からも不安の声が聞こえ始めていた。

そんな状況で“救世主”が現れることになる。それがスルタンだったのだ。

チャンスは今! 憧れた日本

「イチ、ニ、サン…」

シリアで4歳の頃から空手を習っていたスルタン。空手で教わるこの言葉に興味を持った。
「どこの国の言葉だろう?」

そして空手を通して日本を知るうちに「いつかいってみたい」憧れの国になった。

こうした思いを胸に12歳でエジプトに移住したスルタンは、体育大学を卒業してエジプトの国家公務員として働くようになる。


そこで、思いがけないチャンスが訪れる。
エジプトのスポーツ関係の省庁でJICA=国際協力機構のプログラムの受け入れ責任者を務めていたスルタンは、そこで出会った日本人から「日本に来ないか?」と誘いを受けたのだ。

「いまがチャンス!」

この機会をつかんで2001年に来日した。
山形県鶴岡市のスイミングクラブで水泳指導員として地元の子どもたちを教えながら、プログラムの期間の10か月を過ごした。
その後も、アラブ料理店の経営や、英語教師と職を変えながらも日本で働き続けた。

「長く日本で暮らし、将来的には子供も育てたい」

こうした思いが芽生え、2013年には日本国籍を取得した。

立候補を決めたワケ

3年後の2016年、スルタンは親戚の紹介でシリア人女性と結婚し、自然豊かな環境を求めて庄内町に移住した。


2人の子どもに恵まれ、家庭菜園に加えて、ニワトリやヤギを育てて田舎生活を満喫している。

しかし、ショッピングセンターが遠く、さらには大雪、それに楽しめるイベントも少ない…。
さらに、息子が膝を痛めた時には救急車を呼んだが、町内には小児科がなく受け入れてもらえなかった。
田舎生活の現実にも直面し、引っ越しも考え始めていた。

そんな中、飛び込んできたのが町議選が行われるという情報だった。

「自分が不安に思うことは他の人も困っているはず。ならば議員になって住民の意見を聞いてなんとか自分の力でいい町にしよう」

立候補を決意したのは、告示3日前のことだった。

何から何まで手探りの選挙戦

“1度決めたら即行動”を信念にしているスルタンの動きは早かった。

思い立った翌日、自ら町役場に書類を受け取り行き、なんとか補選の告示日に手続きを間に合わせた。
もう1人が立候補して新人2人の一騎打ちになった。5日間の選挙戦が始まった。

日本の選挙はもちろん初めて。何から何まで初めての経験で、手探りだった。

たった1日でポスターを用意し、選挙カーも1台買って町内をまわる。自分の考えを訴えた。

「(公職選挙法の規定があるので)お昼ごはんの時に相手の食事の支払いも出来なかった。最初は選挙の法律を全く知らなかったから全部勉強して日々気をつけながらやっていた」

スルタンが日本の選挙でまず驚いたのは守るべき法律の多さだった。
手伝ってくれるスタッフへの対応や演説の終了時間の順守など、守らなければならないことが山ほどあった。

さらに都会ではなく、田舎での選挙という壁も感じたという。
「選挙カーで回っていても外に人が全くいなくて不安になることもあった。エジプトの選挙は車で回るときはもっと賑やかだから」

最初は当選できるか五分五分だと思っていたというスルタン。

一方で、次第に農家の高齢者や若者からも声をかけられるようになり、日に日に手応えを感じるようになっていた。
スルタンは相手候補とは600票の差、5000票余りを獲得して当選した。

「すべてこれからが大事。庄内町がナンバー1の町になるようなまちづくりをしたい」

山形県で初めての外国出身議員となったスルタンが当選当初から繰り返し使う言葉だ。

3年間続いていた町議会の定員割れも解消することになり、町議会の窮地を救う、まさに“救世主”となったのだ。

「外国出身で議論ができるの?」

初めて見る外国出身の議員に対して町民の意見はさまざまだ。

「議会に新しい風を入れてほしい」と期待する声が多い一方で「町の人とうまくやっていけるのか?」といった懐疑的な声もある。

こうした声にスルタンは…
「そういった別の考え方があるのもわかっている。でも自分には日本のことも外国のこともわかるメリットもある。どんな活動もすぐには何をしているか見えづらいからこそ、自分のやっている活動の発信も含めてやるべきことを一生懸命やっていきたい。そうすれば少しずつ見方も変わっていくんじゃないか」

“新人の試練”受ける

議員になって1か月経った残暑厳しい9月初旬。

スルタンは初めての議会の一般質問に向けて準備に明け暮れていた。
質問を作るために関係者から現状を聞こうと町役場や体育館に通う日々。

「事前通告?」「専決処分?」

議会のしきたりや、専門用語は、役場職員や同僚議員にアドバイスを求めた。

事前の約束を取らずにリサーチに行って相手を困らせてしまい、先輩議員から注意を受ける場面もあった。

スルタンは“新人の試練”を受けながら必死に準備を進めていた。

議員として質問デビュー

9月9日、ついにスルタンの質問デビューの日がやってきた。
傍聴席の数が足りなくなるほど大勢の傍聴人。注目度もなかなかだ。

イスラム教徒には欠かせない礼拝を議場の隣の部屋で終えてから議場に向かった。

「スルタン・ヌール議員!」
議長から名前を呼ばれると、議場の空気が一気に張り詰めた。

「私の方からも先の通告に従いまして質問させて頂きたいと思います」

用意した原稿を一生懸命たどるが、緊張した面持ちで時折言葉に詰まる場面も。

「途中でどこを読んでいるか一瞬わからなくなり、話す項目の順番をどうするかを考えていた」

その時の議場全体の静けさは時が止まったようだ。

すかさず隣にいた議員がフォローに入る。

それでもスルタンは、持ち時間1時間を目いっぱい使い、みずからの言葉で地域医療の充実やスポーツ振興、外国人就労計画の強化に関する質問を執行部にぶつけた。

「庄内町には小児科がないが緊急医療体制をどう考えているか?」

次第に語気は強まっていく。
傍聴人もスルタンが質問するごとに「うんうん」とうなずきながら話を聞く。

議長の吉宮茂はスルタンの初質問をこう受け止めた。
「傍聴席に足を運んだ人の中には『質問はどうだろうか?当局とかみ合わないんじゃないか?』と懸念している人もいたかもしれないが、質問中の傍聴人の納得している表情をみていて、彼が議員になってよかったと安心した人もいるのではないか。彼の姿を見て議員の神髄を改めて考えさせられた」

外国人かどうか それは関係ない

外国出身議員は全国でも少ないが、中には議長まで務めた人物もいる。
愛知県犬山市の市議会議員、ビアンキ・アンソニー(63)だ。
ビアンキはアメリカ・ニューヨーク生まれの生っ粋のニューヨーカー。2003年から議員を5期務め、その間、2年間議長も務めた大先輩だ。

外国出身議員が議員になる意義を聞くと、こう話してくれた。
「外国出身者として少し日本人と違う感覚があるので、いまの議論に違う感覚を入れて議会全体の視野が広がるのはいいこと。顔が違っても肌が違っても社会に積極的に参加したい気持ちはどこで生まれても関係ない」

より良いまちづくりに向けて

初質問を終えて議場から出てきたスルタンは安どの表情でこう語った。

「緊張したが、全力を尽くして話したい事は全部伝えたと思う。
これからは、自分の意見だけではなく、みんなで一緒に手を合わせて前に進む事が大事だと思う。庄内町が1番の町になるように頑張りたい」

庄内町議会が定員割れを経験してから3年余り。
スルタンの当選によって町議会にはこれまでにない変化が芽生えているように感じる。

ただ、定員割れを踏まえた議会改革の成果が問われる次の町議選は、来年の夏前にも予定される。
定員が2人減るが再び定員割れにならないという保証はない。
女性による模擬議会を開くなど、町議会では議員の仕事への関心を広める取り組みが進む。
政治への道に踏み出す新たな人材が生まれるか、新人議員スルタンのこれからの活動にも注目だ。

(文中敬称略)

山形局記者
武藤 雄大
2017年入局。山形局が初任地 地域に溶け込むことが大好き 山形でのお気に入りはコメと日本酒