8艇による決勝に進出した瀬立(せりゅう)モニカ(23=江東区協会)は2コースから7位だった。200メートルのレースタイムは57秒998で、同日の準決勝の記録から約2・5秒縮めた。初出場で8位だったリオデジャネイロ大会の成績を1つ上回った。

瀬立は2日の予選で4着、この日の準決勝は2着で決勝に進んでいた。

競技会場のある江東区で生まれ育った。中学時代はカヌー部に所属。高校1年のときに体育の授業中に大けがを負い、車いす生活を送ることになった。約1年のリハビリを経てパラカヌーという形で競技復帰し、リオデジャネイロ大会から採用された新競技に日本選手第1号として出場した。

コロナ禍で無観客となった今大会。本来なら地元の声援をいっぱいに浴びてレースに臨むはずだった。2日の予選後には、「自分が車いす生活を送るようになって、生きる希望がこの東京パラリンピックだった」と涙ながらに語った瀬立。テレビやパソコン、スマホの画面越しに送られる声援を感じながら、力いっぱいこぎ抜いた。