最強助っ人は、いかに生まれたか-。近鉄、巨人、オリックスで活躍したタフィー・ローズ氏(51)は、外国人選手でNPB最多となる464本のアーチを描いた。来日当初の低評価を覆し、豪快な打撃で本塁打を量産。陰で支えたオリックス藤田義隆チーフ通訳(62)が日本球界成功の秘訣(ひけつ)を証言した。【取材・構成=真柴健】最強助っ人の面影は全くなかったという。96年の来日当初。近鉄に加入したローズはスリムな体形で、俊足タイプのイメージだったという。球団は同じ年に補強したクリス・ドネルス(C・D)を期待していた。当時の通訳藤田は記憶をたどる。サイパンで行われた春季キャンプでは、他球団関係者が「あの外国人はダメだろう」と酷評したほど。そんな状況で、ローズはドネルスにライバル心を燃やし、練習に励んだ。練習量の多い日本人を素直に見習った。マメはつぶれ、むけてボロボロになった手のひらを藤田は実際に見ている。努力に加え、もう1つの長所があった。それが順応性だった。日本の生活に早く溶け込もうと、通訳を伴わずに町に出て、友人を作った。
来日1年目は、130試合に出場し、打率2割9分3厘、27本塁打、97打点のチーム3冠。ライバルだったドネルスの成績を上回った。結果を残したことで、「助っ人」としての自らの立場を強く認識。「ホームランを打たないと意味がない」と話していたという。俊足タイプから、長距離砲への完全移行に取り組んだ。上達の一途をたどる日本語では、こんなエピソードがあった。インタビューの際に、藤田が訳す前に話し出すことがあった。「あ、ごめん!」。そうわびる姿が何度も見られた。藤田 「ローズって漢字でどう書こうか?」と聞かれたことがあって。何個かリストアップして「狼主」になった。気に入って使ってくれた。肉も食べるし、中華も食べる。お箸もきれいに使えた。藤田 勝負を避けられることもあり、なかなか55号は抜けなかった。でも、彼はそこに対する数字をリスペクトしていました。
藤田 中村紀洋くんとは、よく食事に行きましたね。礒部くん、川口くんらを誘ったり。「鉄板焼、いこか~!」という感じで。ローズは日本語がわかるので、僕が行かなくても、みんなで食事に行けるとは思うんですけど、誘ってくれましたね。チーム以外でも生活していく上で、友達作りが上手でしたね。社交的な性格で、輪を広げるのがうまかった。熱い男でしたけど、レベルアップに必要なことは一生懸命に取り組む冷静な男でした。
殿堂入りして当然の選手だよ。
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