エジプトの失われた古代都市、100年に1度級の大発見

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  • author George Dvorsky - Gizmodo US
  • [原文]
  • 福田ミホ
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エジプトの失われた古代都市、100年に1度級の大発見
古代エジプトの都市「The Rise of Aten」の遺構

ツタンカーメン級の発見。

エジプトのルクソール近くの遺跡から、失われた古代エジプトの都市が発掘されました。これはツタンカーメン王の墓が見つかった1922年以降最大の考古学的発見と言われています。

想定外の発掘

かつてエジプトの考古大臣(っていう役職があるんですね)を務めた考古学の権威ザヒ・ハワス氏がFacebookで発表したところによると、その都市は3,400年前のもので「The Rise of Aten」(アテンの日の出)と呼ばれ、エジプト南部のルクソールや「王家の谷」(ツタンカーメンなど古代エジプト王の墓が集中する地域)に近い砂の中に埋もれていました。発掘チームはもともとはツタンカーメンの埋葬殿を探してたんですが、思いがけずに古代都市が丸ごと出てきてしまったみたいです。

ただハワス氏は、自分がこの発掘調査を主導したと言ってるんですが、彼は古代エジプト関係の発見にはほぼ何でも自分の名前を絡めようとすることで有名だし、怪しげなサイエンスこれとかもそうなんですが)にも関わってるしで、発表を全部額面通り受け止めていいのか一抹の不安がよぎります。ただ今回発見した古代都市そのものは本物で、100年に1度級の重大発見であることは間違いありません。

黄金時代の巨大王朝都市

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失われた都市の内部
Image: Zahi Hawass/Facebook

この古代都市の歴史は、古代エジプト第18王朝の9代目のファラオ、アメンホテプ3世の時代にさかのぼります。アメンホテプ3世は紀元前1391年頃から1353年頃、40年近く王の座を保持し、その時期はエジプトが国際政治的にも文化的にも最高潮に達した黄金時代と一致しています。

ハワス氏がリリースで書いているように、当時のThe Rise of Atenはルクソール西岸沿いの行政・産業の中心でした。多くの「他国ミッション」も、「失われた都市」であるThe Rise of Atenを探してはいたんですが、今までは誰も成功していませんでした。

ジョンズ・ホプキンス大学の考古学教授で、この発掘には参加していない古代エジプト専門家ベッツィ・ブライアン氏は、「この区域が過去に発見されていたことを示すものは何もないが、巨大王朝都市の一部であることは明らか」だと言います。ブライアン氏いわく、新たに発見された都市の規模は、既知の遺跡を多く擁するアマルナに匹敵するほどです。というか、The Rise of Atenのほうが、アマルナに建設された首都・アケトアテンの「明らかな先例になっている」とブライアン氏は指摘します。

The Rise of Atenの発掘調査は2020年に始まりましたが、開始から数週間ですでに泥レンガが見つかっていました。その後発掘が進むにつれて、発掘チームはこの都市の規模の大きさに気づき始めました。数千年間埋もれていたにもかかわらず保存状態は良く、工芸品が詰まった部屋や壁がほぼ完全に残っているそうです。「この町の道は家々に挟まれていました」とハワス氏は書いていて、一部の壁は高さが約10フィート(約3m)もあるそうです。このプロジェクトは開始から7カ月経っていますがまだまだやれることがたくさんあります。

お宝がざっくざく

The Rise of Atenでの発掘物は、指輪、スカラベ(フンコロガシ、古代エジプトでは神と崇められた)などの護符、彩色陶器、ワインピッチャー、アメンホテプ3世のカルトゥーシュが記された泥レンガ、などなど。このカルトゥーシュが、都市が生きていた時期の推定に使われました。10kgほどの牛肉(乾燥かボイルしてある)が入った容器にはこんな言葉が彫ってあります。「37年、Khaの家畜置場の食肉加工場から、3回めのヘブセド祭りのために調味した肉、肉屋のLuwyが調理」 。

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出土した工芸品のごく一部
Image: Zahi Hawass/Facebook

3,400年前の肉10kgっていろいろと気になるんですが、専門家的には文字のほうが大事みたいです。「この貴重な情報は、この都市で生活し労働したふたりの人物の名前を教えてくれるだけでなく、都市の活動が活発だったこと、アメンホテプ3世が息子のアケナテンと共同統治していた時期だったことを裏付けています」とハワス氏は書いてます。

都市の南部ではパン焼き場と、食料を処理・調理する場所(かまどや鍋を収納する場所も)も見つかりました。その規模からすると、「この調理場は非常に大勢の労働者や使用人の食事を賄っていたと言えます」とハワス氏は付け加えます。

大規模な居住区域や作業場も発見

2番めの区域はまだ一部しか調査が進んでないんですが、より大きめで整理された居住空間があり、行政や居住区域だったようです。この区域はジグザグのパターン状に並んだ壁で閉じられていて、内側に入れる場所は1カ所しかなく、何らかの安全策だったと見られています。

「ここには産業区域があり、すべて波打つような壁で仕切られ、機能別に分かれていました」とブライアン氏はメールで説明してくれました。「これは規模と秩序という意味で非常に優れています。かまどや炉が数多くあります。粘土の採掘源がすぐそばにあり、刻印付きのレンガが数多くあります。彫像からは花崗岩の削片群が出ています」とブライアン氏は言い、「落ち着け自分(Be still my heart)」と、興奮を隠せない様子です。

第3の区域では作業場と見られる空間が見つかり、泥レンガを作った場所もここでした。護符など繊細な装飾品の製造に使われたと思しき鋳型も発見されました。ハワス氏はこれらが「神殿や墓の装飾を作るほど、この都市で活発な活動があったことをさらに裏付ける証拠」だとしています。発掘チームはまた糸紡ぎや機織りに使われた可能性がある道具や、金属やガラス製造の証拠も発見しましたが、これらの活動が行われたメインの場所はまだわかっていません。

人間や牛の埋葬、岩窟墓も

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埋葬されていた人物
Image: Zahi Hawass/Facebook

発掘チームはまた埋葬された遺骨も発見したんですが、上の画像の通り両腕を体の横に伸ばしたままで、ひざにはロープの残骸が結ばれていたそうです。その位置や体勢は「不自然」だとされていて、さらなる調査が必要とされてます。また、牛か水牛らしき動物が屋内に埋葬されていた例も2カ所で見つかっていて、これも同様に謎です。

ここまで発達してたThe Rise of Atenですが、最終的に放棄され、王朝は400km北のアマルナに移動したのですが、その理由こそが最大のミステリーです。「この区域のさらなる発掘調査によってのみ、3,500年前に本当に起きたことが明らかになります」とハワス氏は書いています。 この古代都市には大規模墓地や、複数の岩窟墓などもあり、まだまだわからないことがたくさんあります。まるでツタンカーメン王の墓が見つかったときみたいに、謎解きの世界が一気に開けた感じですね!