東日本大震災から11日で丸10年になる。岩手・陸前高田市出身のロッテ佐々木朗希投手(19)は、大津波で父功太さん(享年37)と祖父母を亡くし、家も故郷の街並みも失った。悲しみに暮れた災害から10年。12日の中日戦(ZOZOマリン)で実戦デビューする。世界中からもらった勇気や希望を、伝える側になると誓った。

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東日本大震災の被害はあまりにも甚大すぎた。被災地のために、と思っても人間1人にできることは限られる。でも、佐々木朗希が秘める力は大きい。

「10年前の僕はたくさんの人から支えられ、勇気や希望をもらいながら頑張ることしかできなかったんですけど、今はその時とは違って、勇気や希望を与える立場にあると思うので、活躍してそういうことができたらなと思います」

小学4年生になる直前の悲劇だった。当たり前が当たり前でなくなった毎日。母や兄弟とともに、大船渡へ移り住んだ。悲しみは簡単に癒えない。10年後なんて想像できない。どんな出来事から勇気や希望を受け取ったのだろう。

尋ねると「ちょっと待ってくださいね」と回想し、16秒の沈黙の後「やっぱり野球をやっていたので、プロ野球とか高校野球とか、野球関係でそういうことが多かったかなと思います」としみじみと話した。

楽天の田中将大が大好きだった。転校先で新しい野球仲間もどんどん増えて、やがて彼らと青春までも共有した。「夢中になれる時間があったおかげで、大変な時やつらい時も頑張れたと思うので。野球があって、野球をしていて良かったなと思います」。朗希は希望を、野球で伝える側になりたい。

亡き父は「将来はすごい選手になる」と予言し、小学校低学年の朗希にも強い球を投げた。心配して止める人を、祖母は「いいんだよ、あれで」と制した。全てが今につながる。年末も墓前で手を合わせた。大投手への道を歩んでも、心にはいつだって。

だから、プロ野球選手として上京しても、決して風化することはない。「3月11日は毎年特別な日だと思います」と、厳粛な思いで10度目の3・11を迎えた。我慢の時を経て、12日にはいよいよ実戦デビューをする。「諦めないで一生懸命頑張ることを、言葉だけじゃなくてプレーとかでも見せることができたら」。佐々木朗希だけの宿命がある。【金子真仁】