ロッテ石垣島キャンプが無観客で行われた。06年に八重山商工の甲子園初出場でお祭り騒ぎになった“野球の島”は、今年は実に静かだった。ロッテ大嶺祐太投手(32)をはじめ、当時の島の主役たちは15年が過ぎた今、何を思うのか。石垣島には毎年2月に帰る。到着しバスから眺める故郷は、変化があったとしても微々たるもの。島を離れ15年目。今年は決定的に違う。観光の島に観光客がいない。大嶺は驚いた。「観光客が来ないと仕事できない人たちもたくさんいるので、すごく大変だと思います。自分の周りは漁師が多いので。お店が開いていないと魚をとってきても買うお店がないし、競りに出しても安いと言っていたので…」大自然で育った。祖父武弘さんは漁師。幼少期から、夏休みにはいつも一緒に船に乗った。「おじいちゃんは釣りというか、潜って網を仕掛けてとるのが専門なので。それを手伝って」。ミーバイにグルクン。魚が掛かるまで時間がかかる。亜熱帯を好きなだけ泳ぎ回り、大漁を待った。
透き通る海で大きくなった少年はグラウンドでも強かった。小中高と伊志嶺吉盛監督の厳しい指導を受けた。大声がぶつかり合い、高め合い、小学生の頃から実績は抜群だった。「夏休みになると1週間は大会でどこかしらに行ってましたね」。中学硬式の「八重山ポニーズ」では世界大会3位に輝いた。小学校の遠足は竹富島、修学旅行は沖縄本島。普通なら島外に出る機会はそう多くないのに、祐太少年の海の向こうは一気に広がった。「15年ですか…。考え方はだいぶ変わったんじゃないかなって思います。石垣島にいたら、1人では行動できないってことじゃないですけど、15年前までは誰かしらと常に行動してたんで。今は、年を重ねたのもありますけど、1歩引いているというか、自分も自分のことを考えるようになったかなって」「人も気候も。全てにおいて、こう、親身になってくれるまではいかないけど、ちょっと誰かに相談しただけで、自分が求めている以上のことをやってくれるような気がします」
それでも「五分五分ですかね」というのが素直な思い。「島のいいところもありますし、東京は東京でいいところもありますし…。どっちがいいか分かんないっす」。ヤンチャに駆け回っていた少年は、人生いろいろ経験してきて、とてもあったかい顔をする。海の男の、短くて熱い言葉に押されて、今年も見慣れた景色を後にする。風が強い島。搭乗前日に天気予報を念入りにチェックする習慣は、世界がどんどん広がった少年時代のままだ。【金子真仁】(つづく)
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