ハワイへの日系移民が始まったのは1868年。それから150年余り、いまやこの島では日系6世が活躍しているが、それとは異なり、最近では自らの意思で新たにハワイに移住した日本の人たちも多い。彼らは「新一世」と呼ばれる。会社の辞令でハワイに転勤したものの、帰任命令を機に会社を退職してハワイに残った人、アメリカ留学からハワイに職を得た人、日本の仕事に見切りをつけてハワイ転職を果たした人。さまざまなハードルを乗り越えて、この島に住み着く決意をする日本人が実はけっこういる。まさに「楽園ハワイ」に魅せられた人たちということになるのだが、このコラムでは定期的にそんな「新一世」の人たちを紹介していきたい。坂井さんは1970年にソニーに入社、1985年に39歳でソニーハワイの社長として着任して以来この地に住み、会社初の海外赴任地で定年を迎えた人物となり、そのままハワイの住人となった。これは稀有なパターンだ。定年まで21年も海外法人の社長を務めたわけだから、現在の大手企業の人事システムではちょっと考えられないかもしれない。
さらに、ハワイに赴任する際には持ち前の強運を発揮する。当時のソニーの盛田昭夫会長は、ソニーハワイの社長候補として3人を選び、順番に電話をかけていった。1人目は電話がつながらず。そして2人目に電話をかけたのが、当時ロサンゼルスに駐在していた坂井さんだった。 なんと、坂井さんはその日、日本での会議に出るため空港に向かう予定だったが、息子さんが熱を出したために飛行機の時間を少しずらして自宅にいた。そこに盛田会長からの直電、無事に社長指名の電話を受けることができたのである。携帯電話やEメールなどなかった時代ならではのエピソードだが、なんという強運だろうか。ソニーハワイの社長に就任してからは、米軍の販売ルートを開拓して売上を10倍に伸ばしたり、米PGAゴルフトーナメントの「ソニーオープン・イン・ハワイ」をスタートさせたり、八面六臂の活躍。米軍の担当者相手にゴルフのパット対決で勝って販路を開拓したこともあったそうで、強運ぶりを遺憾なく発揮していった。
現在もハワイで開催されているPGA公式トーナメントである「ソニーオープン」を誘致する際には、その話し合いの席にマイケル・ジャクソンが同席して応援してくれたそうだ。何でもマイケルがハワイでコンサートを開いた際に、ソニーが全面的にバックアップしたことへの恩義を感じてのことだったそうだ。何ともスケールの大きな話。
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