7階建ての病院には当時、塚本さんを含め108人の患者が入院していた。倒壊の危険があるため医師や看護師らは入院患者を避難させるため全員を1階に移動させた。3階の産婦人科棟にいた塚本さんも即座に誘発剤の投与を中断し、駐車場に停めてあった夫の車に逃げ込んだ。断続的な揺れが収まるまでここにいようと思ったが、職員が血相を変えてドアを叩いた。「津波が来る!」職員は1階に降ろした患者を最上階に再び避難させた。海岸からの距離はわずか3km。津波の被害は免れたが、屋上からは1,522世帯が波に飲まれ変わり果てた光景が広がっていた。そして翌日、福島第一原発1号機の水素爆発が発生する。
「放射線が飛散すればこの子に影響が出るかもしれない」塚本さんの不安はさらに増幅した。原発周辺には政府から避難指示が出され、病院は対象区域から多くの患者を受け入れることになった。そして自分で動ける状態の患者には避難が呼びかけられた。塚本さんの実家は病院から約500メートルしか離れておらず、出産が近づくまで自宅で待機することになった。南相馬市原町区は多くのエリアに屋内退避の指示が出て、街からは人々が避難を始めていた。そうした中、3月13日の午後5時ごろ、塚本さんは破水し、再び入院した。初めての出産、そして極度の不安で陣痛がなかなか進行しない。塚本さんは眠りにもつけず、恐怖に押しつぶされそうだった。
2011.3.11東日本大地震。深海調査船「ちきゅう」。 ※深海調査船「ちきゅう」は欧米主導の掘削調査、国際深海科学掘削計画(IODP)の主力船。 ■深海調査船「ちきゅう」は人工地震を起こしているのか?
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