今回は石仏ではなく巨石の話です。宝殿(ほうでん)山山腹に生石(おうしこ)神社のご神体として祀(まつ)られている巨石「石の宝殿」があります。「鎮(しず)の石室(いわや)」、「天(あま)の浮石」とも称されています。竜山石(たつやまいし)として知られる凝灰岩を削って細工され、岩盤の周囲と浮石とは切り離されているため、周回が可能です。
宝殿山の頂上からは、全体を覗(のぞ)き見ることができます。浮石は幅が約6・4メートル、高さ約5・7メートル、奥行き約7・2メートル、推定重量は500トンを超えるといわれています。浮石といわれるように、下部の岩盤は大きくくぼんでおり、周囲が水盤になっています。どうやら底部中央が支柱状になっているため、水盤の上部に浮かんでいるように見えるのです。 奈良時代初めに編纂(へんさん)された地誌『播磨国風土記』の「印南(いなみ)郡」には「原の南に作石あり。形、屋の如し。長さ二丈、広さ一丈五尺、高さもかくの如し。名号を大石といふ。伝えていへらく、聖徳の王の御世、弓削(ゆげ)の大連(おおむらじ)の造れる石なり」と記されています。聖徳太子の時期に弓削大連が造らせた石だと言っているのです。
社伝には、大穴牟遅(おおなむち)神と少毘古那(すくなひこな)神の二神が出雲国から播磨国に来て、石造の宮殿を建てようと、一夜で形にまで造りました。しかし、途中で播磨の在地神の反乱が起こり、鎮圧している間に夜が明けてしまい、宮殿が横倒しのまま、反乱が鎮まり、国土を守ることを誓った、という伝承があります。(地域歴史民俗考古研究所所長 辻尾榮市)
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