60年に来日したスタンカは、1年目に17勝を挙げるなど着実に力をつけた。64年には26勝し、南海を優勝へと導いた。そして阪神との日本シリーズに臨んだのだった。第1戦で完封勝ちを収めたスタンカは、第3戦にも先発したが負け投手に。第5戦を終え南海は2勝3敗と追い込まれた。10月9日の第6戦で先発したスタンカは、完封し3勝3敗とタイに戻した。
試合後に、南海首脳と主力選手たちは頭を抱えていた。「ここはひとつ、ジョーにあしたも投げてもらわれへんやろうか」。それを聞いた鶴岡一人監督は「自分のペースを守る外国人に、それはむちゃや。でもダメ元で頼んでみよか」翌日10日。夢を不思議に思いながらも、家を出る支度をしていた。すると、自宅で電話が鳴った。マネジャーからだった。夢は正夢だった。いや、現実の方がむしろ夢のようだった。意気に感じたスタンカは、二つ返事でOK。甲子園へと現れた。そして「南海の先発、スタンカ」のアナウンスに、場内は騒然となる。一塁側ベンチでは、同じ助っ人投手のバッキー、バーンサイドが「ジョー? ノー!」とあきれ顔をしていた。生前に本人を取材し「熱投スタンカを憶えてますか」という著書がある慶大名誉教授の池井優氏は、スタンカから当時の思い出を聞いている。
「スタンカは試合前に『ボス、6イニングくらいからリリーフを用意しといてくれよ』と伝えていたそうです。チェンジのたびに、鶴岡監督の顔をチラチラ見る。ところが監督は『ジョー、もう1イニングいこか』とグラウンドを指さし、うまいこと気分を乗せてマウンドへ送り返していました」この試合はナイターで行われ、観衆はわずか1万5172人にとどまった。この日の昼には東京五輪開会式という国家的慶事があり、元祖関西シリーズへの関心がそがれた形となった。翌日11日付の日刊スポーツも、1面は「6500人トウキョウの大行進 秋晴れに聖火赤々」。スタンカはおろか、日本シリーズの結果すら1文字もなかった。そして59年後。京セラドーム大阪での日本シリーズ、オリックス-阪神戦の緒戦は大盛況だった。<1>戦は3万3701人、<2>戦は3万3584人。いずれもスタンカの快挙を見た観衆の2倍以上である。
元祖関西シリーズから59年。スタンカの愛したホークスは福岡へ去った。ライバルだった阪急はオリックスとなり、同じく好敵手の近鉄と合併した。さまざまな経緯を経て、再現された関西シリーズ。球史に巨大な足跡を残した名助っ人は天国から、ファンであふれる客席をどんな思いで見ているのだろう。オリックス対阪神 9回表阪神2死、大山は投ゴロに倒れ試合終了、足早にベンチに引き揚げる(撮影・和賀正仁)
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »
ソース: sportsnavi - 🏆 72. / 53 続きを読む »
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »
ソース: goonewsedit - 🏆 40. / 63 続きを読む »