笑顔の四十住さくら(C)Yusuke Kashiwazaki/Red Bull Content...
「練習する公園の隣にお風呂があるから、最後はそこに入って(午前)2時ぐらいに帰って寝る。しんどくは…なかったかな。最初はペットボトルを跳び越えるのも難しかったけれど、難しいことが1週間後には余裕になる。結果が出るから、すごく楽しいんです」■五輪を目指していたわけじゃない■ 五輪との距離は導かれるように縮まった。16、17年の全日本アマチュア選手権は、階段や手すりなど街中を模したコースを使う「ストリート」で優勝。その後、複数のボウルの中で技を出す「パーク」へ専念した。4年前のことだった。18年に初代世界女王となった一方、和歌山から神戸の練習場に通う生活は続いた。母清美さんが片道1時間半の運転。娘の本気度を確認して以降、身を粉にして支えてくれた。1915年(大4)に創業した地元、岩出市にある老舗酒造会社「吉村秀雄商店」。精米機を設置していた倉庫の無償提供を受け、秋には自宅から5分の場所に専用練習場「サクラパーク」が誕生した。
「コロナで神戸のパークが閉まって困っていました。1人で1本1本、確認しながら、1日7時間ぐらい滑っています。順番待ちもない。1人でも、家族だけでも、無理やった。みんなの協力で、内容の濃い練習をさせてもらっています」「金メダルは取れるなら取りたい。でも、もし五輪で金を取れなくても、これ以上、滑れないぐらい滑っている。もう後悔はないです。負けたら負けたで、いいのかなと思っています」「練習は結果につながると思うけれど、結果だけを見ていたら、絶対につながらへんと思う。とりあえず練習する。やらんかったら『なんでやらんかったんやろ?』ってなるし、それが嫌やから、決めたことは絶対にやる。そこまでやるから後悔はないと思います」「スケボはヤンキーとか、悪いイメージがあるけれど、真剣に世界を目指す姿で『楽しい』っていうのを見せたい。将来は子どもたちのサポートをして、私が経験してきたことを教えたい。スケボを嫌いになったことはないです。楽しくなかったら多分、今まで続いていない。目の前に大会があってもなくても、同じ生活をしていると思います」◆スケートボード...
◆経歴 昨秋に和歌山・伊都中央高卒業。2年時まで全日制。国際大会が増えて多忙なため、3年時から同校の通信制へ切り替えた。「飛行機でお昼に関西空港に帰って、そのまま学校に行ったり…。先生方にすごく助けてもらいました」
日本 最新ニュース, 日本 見出し
Similar News:他のニュース ソースから収集した、これに似たニュース記事を読むこともできます。
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »
ソース: nikkansports - 🏆 18. / 63 続きを読む »