タイトルを手にしたことは、1度もない。それでも、12球団のファンから愛される。そんな選手が、かつていただろうか。高校野球の強豪、帝京出身の日本ハム杉谷拳士内野手は、元気いっぱいのタレント性が魅力だ。原点は高校時代。球界の人気者に宿る〝帝京魂〟とは―。帝京野球部の大先輩、タレントとんねるずの石橋貴明が、自身のYouTubeチャンネル「貴ちゃんねるず」で発表した応援歌だ。とんねるずのおかげで、世に広まった「帝京魂」という言葉。それは、杉谷に言わせれば「オレがやってやるんだ!っていうメラメラしたもの」なのだという。
高校入学当初の身長は、170センチに届くか届かないか。いつも、前から2番目だった。厳しい練習で知られる帝京で、前田三夫監督からは叱られてばかりだったが「いつか絶対、倒してやる」と踏ん張った。体が小さかったため、弁当箱は大きな容器2つ分。食べても食べても、先輩たちから残り物がまわって来る。昼食の時間が憂鬱だった。 杉谷 前田監督からは「自分の長所を伸ばしなさい」と言われてきました。「何でお前は、そんなに下を向くんだ」とも。先輩たちに怒られて、よく下を向いて反省したふりをしていたけど「いいじゃないか。お前、間違ったことはしていないんだから言い返せ。向かって行け。お前のいいところは、そこなんだ」と。忘れもしない06年夏の甲子園準々決勝。1年生ながら背番号「6」で出場した智弁和歌山戦で、衝撃的な投手デビューを果たした。4点あったリードは、いつの間にか1点差。9回裏、投手は使い切り、1人も残っていなかった。
「おい、拳士。肩を回せ」。指揮官からの指名に驚いた。投手の練習なんて、高校入学後はしていない。1死一塁からマウンドに上がったが「カーブって、こんな感じかな」と投げた初球は、痛恨の死球。たった1球で降板となり、チームもサヨナラ負けで敗戦投手となった。 杉谷 9回裏に入る前に円陣を組んだんですけど、中村さんが投手の打診を断っていたのは、鮮明に覚えてます。試合後は前田監督から「お前は勝負弱い。何であそこで投げきれない。君にはもう、聖地のマウンドは踏ませませんよ」と言われました。しょうがないじゃん、投手やったことないんだから。ただ、3年生には本当に申し訳なくて…。「あの日の前田監督の言葉がなかったら、今こうしてプロになっていなかったかもしれない」と振り返ったのは、高3夏の大会前に行われた練習試合だ。「今日はスカウトが来ているから、お前、左で打て」。もともとは右投げ右打ちだが、左打席のデビュー戦で、いきなりサイクル安打を記録。その後も、東海大相模との試合では左打ちで場外弾をかっ飛ばした。相手投手は、後に日本ハムで一緒にプレーする大田泰示。貴重な両打ちという武器は、前田監督との出会いがあってこそだった。杉谷 もう10年近く、甲子園に行ってないですからね…。監督は会う度に体が細くなっていく。選手は、いつの間にか、おとなしい子が増えましたね。テレビで試合を見ていても、昔のようなメラメラしたものが伝わって来ない。杉谷...
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